一箇半箇

一箇半箇

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

この数年間、私は人生の大きな節目を迎えることが多かったような気がしています。そのたびに聴いていたのは、米津玄師さんの「Lemon」でした。「♪切り分けた果実の片方の様に 今でもあなたはわたしの光♪」という具合に、光を目指して方向転換をしてきました。おそらくみなさんも人生の節目で寄り添ってくれる歌があったのではないかと思います。

ということで今回は切り分けたレモンの写真にしてみました。このブログは写真とセットになっていますので、いつも産みの苦しみを感じながら、写真を選んでいます。

一つのものを切り分けるというイメージから「一箇半箇(イッコハンコ)」という言葉が浮かびました。これは禅語で、自分の教えを受け継いでくれる人は、“一人でなくその半人でもいい”という意味から、日常生活に転ずれば、大切な人は一人でも半人でもいれば十分ですよと伝えてくれているのではないかと思っています。自分のことを理解してくれる人は一人いれば十分。友だちは一人いれば十分。味方は一人いれば十分。その半人でも十分なのです。

そういえば、私はこどもが保育園児の時に、あみだくじに当たって?外れて?保護者会の会長になってしまったことがありました。会長として卒園式で挨拶したときに、「友だちなんて100人作らなくてもいいんですよ。一箇半箇という言葉があってね、友だちは一人で十分。一人の半分でも十分なのよ~」と年長さんの小さなこども相手に話をしたことがありました。こどもたちはポカ~ンと聞いていましたが、後日園の先生から「お母さん、卒園式で話していた四文字熟語って何でした~?書道展に出す文字にしたくて~」とお問い合わせがありました。やはり大人にしかわからなかったのね~と笑ってしまいました。

世の中には友だちは多いほうがいいという風潮があふれています。アイドルのグループも大人数で構成されていることが多く、それを良しとするイメージがこどもたちにすり込まれている傾向も見られます。小学校に入学する時にも「♪友だち100人できるかな~♪」と歌うのですが、それが理想とされてしまう怖さをどれだけの大人が認識しているのかな~と心配になります。

若者たちの多くは、友だちができるかできないかが自分の価値付けの大きな要因になります。友だちは一人でも半人でもいれば十分というメッセージを届けることで、気持ちがラクになる人たちがいるのだろうと思います。自分のことを理解してくれる人は一人でも半人でもいれば十分なのです。そう思える人と出逢えることが人生の光となり心の支えになるのですから。

with k 4E