母の誕生日

母の誕生日

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

今日9月6日は亡くなった母の誕生日です。生きていれば83歳になる日でした。今日は母の思い出を書きたいと思います。

母は看護師でした。田舎の漁師町で育ち、大阪市内の医院で働きながら、看護師の資格を取りました。父と結婚してからは、保険の外交員などをしている時期もありましたが、小さい医院の看護師として働きながら、私たち姉妹を育ててくれました。

両親はずっと共働きだったので、小さい頃から家にいなくて、日中は隣りに住む母の姉(伯母)が私たち姉妹の面倒をみてくれていました。幼稚園児の頃、医院の昼の休憩の時に私を園に迎えに来てくれて、家に送ってからまた医院に戻る母に、「行かんといて~」と泣いてすがった記憶があります。この頃に見捨てられ不安が醸成されたのでしょうか(笑)。

母の性格はとても明るくて、周囲からは脳天気と言われていました。まさにその通りで、人と話すことが大好きで、電話をすると1時間も2時間もおしゃべりをしていました。サービス精神も旺盛で、出かけると誰かのために何かを買って、それを配って歩いていました。私がいつもおやつを買って、誰かとべらべらおしゃべりしているのは、母から譲り受けた性格なのかもしれません。

孫の面倒もよくみてくれました。息子が保育園の年長の時に胃がんで亡くなるまで、本当に大切に孫を育ててくれました。私もずっと働いていましたので、保育園への送り迎えは母がしてくれていたのですが、雷が恐い母は雷の鳴る日は孫を休ませていたりして。面白い母でした。

9年ほど前に母は胃がんで亡くなったのですが、胃がんの末期で入院している頃、もうそろそろかな~という段階の時に、一人で逝かせたくなかったので、私は大学での勤務の傍ら、病院に泊まり込んで看病をしていました。ある夜、母は痛みに耐えかねて、「りつこ、殺して~」と懇願してきたことがあり、「殺すのは無理でございます~、ハッハッハッ~」と笑い飛ばしたことがありました。その夜から数日して母は息を引き取りました。亡くなった母の顔を見ながら「楽になってよかったな~」と声をかけたことを覚えています。

そういえば、私が息子を出産する時、あまりの痛みに耐えかねて「お腹切って~」と叫んだことがあったので、やはり母によく似ているな~と改めて気づきました(笑)。

私は母が大好きでした。今でも母を思い出すと心が温かくなります。心理学では、重要な他者との愛情の絆を愛着と呼んでいますが、母との関係性においては愛着しかなかったと感じています。とても恵まれた愛情の中で育ててもらえたな~と感謝しています。今日は母のお墓参りに行こうと思います。

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