国宝
国宝

オンラインカウンセリングのカナムーンです。
久しぶりに見応えのある映画に出逢いました。それは『国宝』です。ヤクザの子どもとして生まれた主人公の喜久雄が、血筋が重視される歌舞伎の世界で、天賦の才能を磨くことで人間国宝にまで上り詰めた女形のお話で、まさに「100年に1本の壮大な芸道映画」だったような気がしています。
芸道とは、日本の伝統的な芸能や武芸、工芸などの分野において、技術の習得だけでなく、精神修養や思想性も重視する考え方です。技術だけでなく、自己を高めるという精神性を重視するのは、日本文化独特の概念だと言われています。
「芸」の語源は、元々「ウン」という虫除けの香草の名前で、それが転じて草を刈る意味になったとされ、「人が丹誠を込めて育て、やがて刈り取ったもの」という概念が、「芸術」や「芸能」などの言葉の語源になっているとされています。また「道」は、中国から伝わった読み方の「どう」では、敵の首を持って歩いたというおどろおどろしい意味がありますが、日本古来の訓読みでは「みち」と読み、神様を意味する接頭語「み(御)」に通りを表わす「ち(路)」を合わせて「みち」と言うようになったという説があります。
この『国宝』の映画のなかで、喜久雄が神社で非嫡出子から「何お願いしてたん?」と聞かれたときに、「神様と話してたんとちゃうで。悪魔と取り引きしてたんや」と答えるシーンが、私はとても印象に残っています。歌舞伎がうまくなるのであれば、他のものはすべて差し出すと悪魔と取り引きしていたのです。
まさに、ゲーテの戯曲『ファウスト』でよく知られるモチーフ「悪魔との取り引き(Deal with the Devil)」です。心の奥底に抱く強い欲望を叶えるために魂を悪魔に売り渡し,契約した者は、寿命であったり、愛する者であったり、精神的な安定であったり、その人物にとって大切なものを代償として差し出すのです。
私は、喜久雄はどうして悪魔と取り引きしたのかを、映画を観ながら考えていました。それはおそらく芸を極めていった先に見える景色を見たかったのではないかと思うのです。神から与えられた才能を持った喜久雄は、その才能を磨き続けた先に見えるキラキラした景色、神の高みに上り詰めた先に見える景色、神の視線と同じ高さから見える景色でしか得られない魂の恍惚感を味わいたかったのではないか、本来天賦の才能というのはそういうものなのではないかと考えさせられた貴重な映画でした。是非、映画館でその景色をご覧下さいませ。
with k 4E #495








