沙羅双樹
沙羅双樹

オンラインカウンセリングのカナムーンです。
写真は、江姫ゆかりの円光寺で咲いている沙羅双樹の花です。新緑が美しい5月頃に、ネットニュースで円光寺の写真を見て、行ってみたい!と思い足を運んだら、お寺の清掃をしていた檀家さんが話しかけてきてくれて、お堂のなかでお茶まで振る舞い、円光寺の歴史や季節ごとに咲く花の説明をして下さいました。
帰り際に、檀家さんから「6月中旬頃に沙羅双樹の花が咲くから、電話で問い合わせてから来てください」と声をかけられたので、その通りにして「沙羅双樹の花は咲いていますか?」と電話したら「2本の木で咲いていますよ」と教えてくれました。そこで、円光寺に足を運んだ次第です。
日本にある沙羅双樹はインドの本種ではなく夏椿で、朝に咲いた花が夕方には地面に落ちてしまう一日花です。ですから、写真の花は、夕方になるとこのままの姿で地面に落ちて枯れていってしまうのです。儚いですねえ。この儚さから、日本では古くから沙羅双樹と呼ばれているのです。
私もそうですが、みなさんも沙羅双樹と聞くと、『平家物語』の冒頭の一節を思い出す人が多いかもしれません。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き有り。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。驕れる者も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ」
あれだけ栄華を誇った貴族たちも武士の台頭によって没落していったのです。どれだけ力を持っていても、いつかは儚く散ってしまう。変わらないものなんてこの世に一つもないのです。私たちはみな風の前の塵と同じで、風が吹けばその存在は跡形もなく消え去ってしまうということが、この世の真理であることを自覚しなければなりません。
まさに、諸行無常です。万物は常に転変して止むことがなく、作られたものは全て移り行くのですね。私たちはこの体がある以上、いつかは朽ちていきます。生まれると同時に死に向かって生きているのです。体は老化し、いつかは消えて無くなります。目に見えている私たちは、目に見えない存在になるのです。
沙羅双樹は、二本並んだ沙羅の木の下で、釈迦が入滅したことから涅槃の象徴とされていて、土居光知著『古代伝説と文学』では、神話学的には復活・再生・若返りの象徴である「生命の木」に分類されているようです。テーマとしては“死と再生”に当たるのですね。何かが無くなれば、また新たな何かが生まれてくるのです。死は新たな生命を得るためには必要なことなのだなあと、沙羅双樹の花を見て改めて思わされた一日でした。
with k 4E #494








