大局観

大局観

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

年齢を重ねるにつれて、予定を忘れていないか気になるようになりました。フリーランスで働いていると日々予定が異なるので、スマホのカレンダーに予定を書き入れているものの、何だか忘れているような気がして心配な時があるのです。記憶力も思考力も衰えていく一方です。

また、年齢を重ねるにつれて、難しい仕事ばかりが舞い込むようになりました。構造が単純なケースではなく、こじれた複雑なケースを頼まれたり、これまで誰もやったことがなさそうなややこしや~ややこしや~という緊急支援を求められたりなど、応用力が試されるケースが増えています。

そんなことを考えているときに、将棋の羽生善治さんの対談を見ました。そこで羽生さんは次のようにお話ししていました。

「若いときは経験も何もないので、ひたすら(相手の手を)読む、ロジカルに考えてどうなるか、だけなんです。年齢を重ねると、『いかに手を読まないか』という大局観が身についてきます。無駄な読みを省いて『ここは守るべきか攻めるべきか』『長期戦にするか急戦調で行くか』という方針をパッと判断します。そうすると未知の局面に対応できるようになり、若い棋士とも互角に戦える可能性が開けます。」

なるほど!大局観ね!と思いました。大局観とは、物事の全体的な状況や成り行きに対する見方や判断のことを言いますが、私もまさに記憶力や思考力は衰えているものの、全体的な状況や流れのなかで、どうするべきかという方針をパッと感覚的に判断しています。羽生さんと一緒!と思いました。レベルが違いますが……(笑)。

年齢を重ねると大局観で勝負するしかないのかもしれません。経験に基づいた感覚的な判断です。対人援助にはタイミングというものがあり、「あっ!今だ!」という瞬間が必ずあります。ダラダラ支援をしていても相手の力を削ぐだけなので、ここぞ!というタイミングで必要な支援を行うことで、状況を動かすことができるものなのですね。

15本目のブログに書いた「マスターセラピスト」を思い出しました。マスターセラピストとは、曖昧さや複雑さを求め、学ぶことを楽しみ、感受性を高めることに力を注ぎます。臨床的判断の自動化を拒み、状況に深く関与しながら、謙虚に臨床的判断を行うセラピストをマスターセラピストと呼んでいるのですが、まさに年齢を重ねたセラピストは、大局観を身につけ、より複雑で曖昧な状況にも、謙虚さを保ちながら深く関与していくことが求められているような気がします。記憶力が衰えていくことに抵抗はできませんが……。

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