生命は

生命は

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

毎年5月になると、我が家の庭にはバラやライラックの花が咲きます。そうすると、どこからともなくタイワンタケクマバチがやってきて、花の蜜を吸い、送粉しています。これまでの送粉はミツバチや在来種のクマバチが担っていましたが、現在は写真の外来種であるタイワンタケクマバチが担ってくれています。

この光景を見ると、私は吉野弘さんの「生命は」という詩を思い出します。少し長いですが、ご紹介しますね。

「生命は」吉野 弘

生命は/自分自身だけでは完結できないように/つくられているらしい/花も/めしべとおしべが揃っているだけでは/不充分で/虫や風が訪れて/めしべとおしべを仲立ちする/生命は/その中に欠如を抱き/それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分/他者の総和/しかし/互いに/欠如を満たすなどとは/知りもせず/知らされもせず/ばらまかれている者同士/無関心でいられる間柄/ときに/うとましく思うことさえも許されている間柄/そのように/世界がゆるやかに構成されているのは/なぜ?

花が咲いている/すぐ近くまで/虻の姿をした他者が/光をまとって飛んできている

わたしも/あるとき/誰かのための虻だったろう

あなたも/あるとき/私のための風だったかもしれない

花が咲くには受粉が必要で、それを手伝ってくれるのは虻であり風なのです。あるときは私も誰かのための虻だったかもしれないし、あなたは私のための風だったかもしれないのです。そうやってお互いに補い合いながら、一つの世界を作っているのですね。

そう考えると、今の立場や持ち物によって、ひとさまに偉そうにしていてはいけないということです。私たちは補い合って生きています。あるときは誰かを支え、あるときは誰かに支えられ、お互いさまで生きているのです。だから、もう少し寛容にひとさまを受け入れてもいいような気がします。他人に優しくなりましょう!とタイワンタケクマバチを見て、自分に言い聞かせました。

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