サロメ奇譚

サロメ奇譚

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

久しぶりに劇場で演劇を観ました。やはり生でお芝居を観るのは臨場感があっていいですね。前から3列目の席だったので、俳優さんの息づかいまで感じることができて、ワクワクしました。

演劇のタイトルは「サロメ奇譚」です。この原作はオスカー・ワイルドが新約聖書を元に書いた戯曲ですが、ペヤンヌマキさんが現代風にアレンジしています。

原作では、ユダヤの王エロドは、自分の兄である前王を殺して妃を奪い王座に就きます。その妃の娘である王女サロメに魅せられて、いやらしい目を彼女に向けます。その視線に堪えられず、サロメは預言者ヨカナーンに惹かれていきます。ヨカナーンは王や妃に不吉な言葉をまき散らし嫌がられます。サロメはヨカナーンに恋をしますが、ヨカナーンは彼女の忌まわしい生い立ちをなじり、彼女の想いを受け入れません。サロメはヨカナーンのザクロのような唇に口づけをしたいと願い、エロドのダンスをしろという要求のほうびとして、ヨカナーンの首を所望します。そして銀の皿にのって運ばれてきたヨカナーンの唇にサロメが口づけをし、これを見たエロドはサロメを殺させるという内容です。

「サロメ奇譚」で印象に残ったシーンは、サロメの母親へロディアが「あなたは私の言うことを聞いていればいいの。私の言うことは正しいのだから」と何度もサロメに告げるシーンです。子どもは母親からこのように言われれば、言うことを聞かざるを得ないのではないかと思います。

そんなことを考えていたら、家で息子が見ていたテレビで「ずっとあなたが好きだった」というドラマからクイズが出題されている番組が流れていました。その中で、冬彦さんが母親から「あなたは私の言うことを聞いていればいいの。私の言うことは正しいのだから」と言われるシーンがありました。

(お~っ!シンクロだわ~)を思いながら、この言葉の重さを改めて考えました。母親はグレートマザーという象徴として表されることがありますが、子どもを支配し呑み込んでしまう母性によって、子どもの生きたかった自分を破壊してしまうことがあります。今の言葉で言うと、毒親というのでしょうか。

毒親というのは明確な定義はないようですが、一般的には子どもを支配したり、傷つけたりして、子どもにとって毒になる親のことをいいます。スーザン・フォワードの著書「毒になる親 一生苦しむ子ども」から生まれた俗語だとされています。

サロメの母親も、冬彦さんの母親も毒親に該当するのではないかと思いますが、子どもは親の所有物ではありませんので、親に子どもを支配する権利はないのです。誰も命の所有はできないので、子どもも一人の人格をもった存在として、その生き方を尊重されることが望まれるのではないかと思っています。

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