縄文人と弥生人

縄文人と弥生人

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

写真は高槻市にある安満遺跡の案内図です。安満遺跡は弥生時代の集落の典型とも言える遺跡です。環濠が巡る居住域、低湿地と一体となす稲作の生産域、そして墓域の3つの範囲が保存されています。

弥生時代は水耕農耕を主とした生産経済の時代で、それまでの狩猟や採集で生活していた縄文時代とは趣が少し異なります。縄文人は広葉樹の森の近くに集落を構え、狩猟や採集で得た食物はみんなで分けて暮らしていました。自然から得られる産物に感謝し、食料の豊かさを祈りながら、分かち合いの精神で助け合っていたのだろうと想像しています。

紀元前4世紀頃になると、朝鮮半島から移り住んできた人々によって稲作がどんどん広がっていきました。安満遺跡では、弥生人が縄文人と共に居住していたようで、縄文人が住んでいた跡も残されています。まずは先の時代の縄文人が弥生人を受け入れ、そして弥生人が居住区に縄文人を招き入れたという流れでしょうか。そして稲作がさかんになると、あちらこちらに国ができて、人々を支配する王や豪族が現れてきます。

生産域はその集落の所有する土地で、それを拡大していくことで国や豪族が生まれたのです。縄文時代では土地はみんなのものだったのに、弥生時代では土地はそこの生産者のものになったのだと思います。そしてその土地を所有し、生産経済が始まることで、貧富の差が拡大し、支配-被支配という構図が生まれたのですね。

自分のものと他人のものという意識が明確になり、内集団と外集団という二元化された世界が広がっていったのだろうと思います。その二元化された世界が、支配-被支配を生み、縄文時代にはなかった戦いがその後の世界では当然のように繰り広げられていくのです。所有という概念は、人々から自由を奪うのかもしれませんね。

私は対人援助をしていますが、支援者同士がいがみ合う場面に出会うことがあります。それぞれの支援団体や支援者同士の活動を比較して、お互いに非難し合ったりするのです。内集団と外集団の二元化された世界の構図とよく似ています。内集団には甘いけれど、外集団に対してはとても厳しく批判するのです。どうして仲良くできないのだろうと不思議に思うことがあります。それぞれの持ち物を比べて、どちらが優れているとか、どちらが劣っているとか非難し合うのですね。

私たちの祖先である縄文人のように、お互いに分かち合いながら協力するという精神を持ち、自分たちとは異なる性質を持つ弥生人を受け入れた受容性と寛容さを思い出したいものです。

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