被害者と医療

被害者と医療

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

私は2005年から犯罪被害者の方々への支援をしています。支援に携わり始めてからもう16年以上が経とうとしています。最初は「専門ではないから」とお断りしてきましたが、今では臨床でお引き受けするケースの大半は犯罪被害者の方々です。

支援を始めた当初は、社会全体の犯罪被害者等への支援についての認識は低いものでした。でも16年経った今、その状況は一変しています。全国各地で犯罪被害者等条例が制定され、行政や福祉の分野ではその理解は進んでいます。一方で、教育や医療の分野では残念ながらまだまだという現状です。

そこで、医療関係者への理解が進むようにパンフレットを作成しましょうという動きがあり、その相談にのっているところです。犯罪被害者支援に関する医療関係者の課題について、さまざまな文献を調べているところですが、その中で印象に残った記述がありました。

“被害者に対して、まずは「本当につらい体験をされました」と一人の通常の人間として共感を示すべきである”

まさにその通りだと思います。被害者に接する時に、医療関係者としてではなく、まずは一人の人間として被害者の辛さに向き合うことが大切なのだと思います。もし自分が当事者だったら・・・という当事者性が求められているのでしょう。

1998年に全国被害者支援ネットワークが実施した医療機関の対応についての調査の中に、次のような被害者遺族の回答がありました。

「病院に着き30分くらい処置室の前で祈っていたが、その後担当医が出てきて、『病院に着いたときにはすでに亡くなっていた』とだけ聞かされた。処置をしなかったのかどうかくらいは教えてほしかった。非常に残念だった」「病院側は手もつけられなかったのか、傷口の手当てもしなかった。さらに、後から院長が見に来て、『どの人?この人?もうダメだ』と大声で言った。残酷な事件とともに、このときの病院の対応がいつも一緒に思い浮かび、胸が締め付けられる思いがする」

もし、その医療関係者に当事者性があり、一人の通常の人間として目の前の被害者遺族に共感することができれば、上記のような対応はされなかったのではないかと思っています。

一方で、同調査には、医療関係者への感謝の言葉もありました。「親切だった」「丁寧に説明してくれた」「事件直後に看護師さんが警察の事情聴取に対して、怪我をした患者さんなので話しかけないでくださいと応対してくれたので助かった」などです。

人の心を癒やせるのは人です。人から傷つけられる経験をした被害者等の心は、人の心でしか癒すことができません。しかし、いつもそうできるわけではなく、それには確かに限界があります。また支援者側が誠意を持って接していても、それが伝わらない場合もあります。でも、できる範囲でできる限りのことをすることが大切なのだと思います。なぜなら私たちはいつ被害者等になるかわからないのですから。明日は我が身なのです。

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