花手水
花手水

オンラインカウンセリングのカナムーンです。
この写真は、伊勢神宮に仕えていた斎王が暮らしていたとされる、斎宮跡近くに鎮座する竹神社にある花手水の写真です。コロナ禍で手水が使えなくなっている昨今の事情から、参拝者をもてなすために地域の方が用意されたのが、この花手水だということです。きれいですね。
手水というのは、神社や寺院で参拝前に流れる水で手と口を清める水のことをいいます。一方で、神道には水を用いない手水があります。これは野外や冬季などの神事で、水がない場合などに行うもので、草木の葉や花や雪等で手をこすって清めをするものです。花で清めをするものを「花手水」と称するようですよ。
この水による清めの信仰は、神社や寺院だけでなく、さまざまな宗教文化に見られます。海に囲まれ、川や湖沼も多く、古くから農業が営まれてきた日本では、流れる水による清めという考え方は生活の中に溶け込んでいます。古代の日本神話にも、神が川の流れに身を浸し、禊をするさまが描かれていますね。
流れる水と言えば、鴨長明の『方丈記』の冒頭の一節「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」を思い出します。これは、川の水の流れは絶えることなく続いているようですが、よく見ればそれは決して同じ水ではなく、移り変わっているという意味です。すべてのものは移り変わりの無常の世界にいることを表しています。
そうですね。私たちは無常の世界に生きています。この世に人として誕生し、現在53歳になった私は、どんどん若さを失ってきています。まさに無常!心も体も日々変化し、移り変わり、やがては死を迎えるわけです。まあ、それも自然なことなので、穏やかな気持ちで自らの死も受け容れられたらなあと思っています。
川と死から、ガンジス川を連想しました。またまた自由連想の気配がしてきました(笑)。ガンジス川はヒマラヤから流れ出る神聖なる川で、この水は全ての罪を洗い流してくれると信じられているために、ヒンドゥー教徒たちはガンジス川で沐浴することが一生の夢のようです。ガンジス川では遺体が流れてくることもあり、河原にある火葬場で遺体を燃やしてガンジス川に流すことは教徒たちの最大の願いのようです。
遠藤周作さんの『深い河』を読んだ中学3年生の時に、このガンジス川のことを知り、一度ガンジス川に行ってみたいと思っていたなあという記憶が蘇りました。死ぬまでに行っておきたい場所がまた一つ増えたような気がします。
with k 4E








