次の駅

次の駅

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

「人とうまくつき合えない」という主訴でカウンセリングを希望される方がいます。その背景にはさまざまな要因がありますが、学生時代にいじめを受けていたという経験を持つ人が多い傾向があるように思います。

いじめ防止対策推進法の定義では、いじめとは児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍しているなど当該児童生徒と一定の人間関係のあるほかの児童生徒が行う心理的または物理的な影響を与える行為としています。学校でのいじめの種類としては、冷やかしやからかい、悪口や脅し文句、嫌なことを言われたりされたりする、叩かれたり蹴られたりする、仲間はずれ、集団による無視をされる、金品を盗られるなどがあります。

人はいじめられると、「なぜ自分はいじめられるのだろう?」とその理由を考えます。そして、いじめを受ける自分の内側に何か原因があるのではないかと思い始めます。そうすると、いじめを受けるのは「自分自身のせいだ」と自分の存在自体を否定し始めるのです。自分っていじめられるに値する価値のない人間なのかな~、自分ってみんなより劣っているからいじめられるのかな~と、思考が負のループにはまってしまい、セルフイメージが歪み、どんどん自信を失くしていくのですね。そうすると、人が怖くてうまくつき合えなくなります。

でもね、いじめられる側は何も悪くないのですよ。いじめようという意思を持ったいじめる側が悪いのです。だって、相手と気が合わなかったり、相手にイライラしたりしたとしても、自分からその場を離れれば済むだけのことですから。でも、学校という限られた空間の中に押し込められた子どもたちは、その場から離れるという余裕もなく、その場でその思いを発散させたりします。そこで、さまざまな衝突が起きるのです。

ブルーハーツの甲本ヒロトさんが次のように話しているようです。概略だけご紹介します。

クラスメイトなんて友だちじゃない。たまたま同じ時に生まれた近所のやつが同じ部屋に集められただけ。山手線に乗ってて「はい、この車両全員仲良く友だちね」って言われても「いや偶然今一緒に乗ってるだけなんですけど」というのと同じ。ただ、喧嘩せずに自分が降りる駅まで平和に乗ってられなきゃダメじゃない。学校はその練習をするところなだけ。だから友だちなんかいなくてもいいよ。

次に降りる駅まで、喧嘩せずに平和に過ごすことで、みんなが幸せになれる権利を守れるような気がします。ただ、平和に乗っているだけでいいのです。友だちなんていなくてもいい。次の駅からは気の合うやつと出会えるかもしれないしね。そんな思いで学生生活を過ごせれば、少しラクになるのかもしれません。いじめられるという経験は、たまたま同じ車両に乗ったやつがろくでもなかったというだけ。そんなやつからの言葉や行動には、熨斗をつけて丁重にお返しして、次の駅が来るのを涼しい顔をして待てばいい。次に降りる駅から見える景色はとってもステキかもしれませんよ。人生何が起きるかわからないから、ワクワクしながら生きてほしいと思います。

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