加害者からの解放

加害者からの解放

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

最近のカウンセリングで、とても象徴的な出来事がありました。被害を受けた相談者が、このように語ってくれたのです。「私はこれまで物事の良し悪しを判断してきました。これは良い、これは悪いとすべて決めつけてきたような気がします。それでずっと苦しんできました。苦しむ感情はそのまま受け入れることにしましたが、善悪の判断はもう辞めることにしました。被害を受けた私は良い、加害者は悪いという判断も手放すことにしました」と。

数回のカウンセリングで、人はこんなにも変われるものなのだと感動しました。一人ひとりが持っている変化する力を生身で感じることができましたし、被害や加害を善悪で判断せず、それさえも解放する相談者を目の前にして、人の有り様に無限の可能性を感じました。そして、ある人のFacebookの投稿文を思い出したのです。

投稿したのは、2015年11月13日に起きたパリ同時多発テロで妻を亡くした夫でした。当時書いていた日々の記録ノートを見返してみたら、11月21日の中日新聞の新聞記事が貼り付けられていて、そこに投稿文の全訳がありました。投稿文の題名は『君たちに憎しみを与えない』です。少し長いのですが、その全文をご紹介します。

「金曜日の夜、君たちはかけがえのない人の命を奪いました。私の最愛の妻、そして息子の母を。でも、私は君たちに憎しみを与えない。君たちが誰かも知らないし、知りたくもない。君たちは死んだ魂だ。君たちは神の名で無分別に殺戮を行った。もし、その神がわれわれ人間を自らの姿に似せてつくったのだとしたら、妻の体に撃ち込まれた一つ一つの弾丸が、神の心に撃ち込まれていることだろう。

だから、私は決して、君たちに憎しみという贈り物を贈らない。君たちはそれを望むだろうが、怒りで応えることは、君たちと同じ無知に屈することになってしまう。君たちは、私が恐怖し、周囲の人を疑いのまなざしで見つめ、安全のために自由を犠牲にすることを望んだ。だが、君たちの負けだ。私はまだ、私のままだ。

今朝、(亡骸の)妻に対面した。幾晩も幾日も待ち続けた末に。彼女は金曜日の夜に会った時と変わらず美しく、そして、恋に落ちた12年以上前と同様に美しかった。もちろん、私は悲しみにうちひしがれている。だから、君たちのわずかな勝利を認めよう。でも、それは長くは続かない。彼女は、いつも私たちと一緒に歩む。そして、君たちが決して行き着くことができない天国の高みで、私たちは再び出会うだろう。

私と息子は2人になった。でも私たちは世界のいかなる軍隊よりも強いんだ。私が君たちに費やす時間はもうない。昼寝から目覚めた(息子)メルビルと会わなくてはならない。まだ17か月の彼は毎日、おやつを食べ、私たちはいつものように遊ぶ。この幼い子の人生が幸せで、自由であることが君たちを辱めるだろう。君たちは彼の憎しみを受け取ることは決してないのだから」

犯罪自体から解放され、あるがままの私で、自由に当たり前の日常を送ることが勝利なのだと、この投稿文では語られています。この投稿文を読んで、心から感動した当時のことを思い出しました。今年11月10日から『ぼくは君たちを憎まないことにした』という映画が上映されました。まだ、いくつかの映画館で上映しているようですので、見に行ってみたいと思います。

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