砂時計

砂時計

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

すべての人間に平等に与えられているものは、時間と死だけ…とどこかの本で読んだことがあります。

2022年のセイコー時間白書によると、コロナ禍の生活に入り、多くの人たちが時間に対する感覚が大きく変容したようです。コロナ禍の時間の体感速度は例年の2倍以上で、時間に追われている感覚が鮮明になっています。1日24時間という誰しもに平等に与えられた時間を足りないと感じている人が増えてきています。与えられた時間は同じでも、感じ方は人それぞれなのですね。

1日24時間と決めたのは人間です。宇宙には時間という概念がありません。人間がこの世界を動き回るために、時間を一定に決めて、互いに共有し習慣化させることが生理的、心理的、社会的な安全につながったのかもしれません。そして、この時間を計るための道具も工夫されてきました。

日時計、水時計、砂時計、紙時計、振り子時計、懐中時計、機械式時計、クォーツ時計、電波時計……。

この中でも私が好きなのは砂時計です。砂時計はヨーロッパの宗教画などでは、美のはかなさや人生の短さを象徴する道具として描かれています。ハンス・バルドゥング・グリーンの「人生の三段階と死」は、生まれたばかりの赤ちゃん、美しさを驕る若い女性、そして年老いた女性の横で死神が砂時計を持ち、人生で輝く若さの時間の短さを暗示している絵画として有名です。

砂時計は、上部にある砂が下へ下へと流れ落ちることで時を計るわけですが、上部が残された人生(未来)、くびれた部分が現在、下部が過ぎ去った人生(過去)に例えられることがあります。時間はとどまることなく過ぎ去っていきます。

そういえば、中学校の国語の時間に「『あ』と言った瞬間に『あ』が過去になるのです」と言った先生の言葉が忘れられません。時はすぐに過去になります。その過去は変えられません。また、過去となった記憶は、私たちが選択的に記憶しているものです。そして選択した記憶によって思い悩むことがあるのです。

そういう意味で、私たちは時間に翻弄されているのかもしれませんね。人生の最後の段階の老年期に入り(私はまだ中年期ですが)、残された人生が短くなったときに、時間というものをいかに感じるのでしょうか。私たちに平等に与えられた時間と死……人としての最後の仕上げのこの時を堪能したいと思います。

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