熊野修験

熊野修験

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

「熊野修験~女性山伏の世界」という講演会を聞きに行ってきました。講演者は、那智山青岸渡寺の女性山伏の成田瀧英さんで、埼玉から那智に移り住み、オンラインで着物の所作の講師をしながら、那智山で修行されています。山伏という言葉から、たくましい女性を想像していましたが、小柄で笑顔が素敵な女性でした。

修験道の祖は飛鳥時代に生きた「役行者(本名は役小角)」です。この人は、深い山岳の洞窟に住み、葛で作った衣を身にまとい、松の実を食べ、清らかな湧き水で沐浴するなどして、俗世間の垢を落として、在家仏教信者として修行を行いました。また、孔雀明王の呪法によって不思議な力を得、空や野山を駆け巡り、鬼神を自在に操った人でもあります。『日本霊異記』には「701年(以降)に役小角がどこか天高く飛んでいった」という記述がありますから、本当に空を飛べたのかもしれません。

現在でも、大峯山系の奥駈道(写真)では山伏たちの修行が行われていて、山に入り心身の浄化と再生を求めて修行をすることで、山の神からのエネルギーを授かった山伏たちは、そのエネルギーを里の人たちに還元しているのでしょう。瀧英さんは「山伏の装束を着ていると、私に手を合わせて下さる方がいらっしゃいますが、私の後ろにいる神さまに手を合わせて下さっているのだと思っています」とおっしゃっていました。

それにしても、写真にあるような吉野から熊野までの大峯奥駈道をものすごいスピードで歩き続けるのは、とても大変なことだと思います。私なんて絶対無理!とすぐに根を上げることは目に見えています。このような大変な修行をされる瀧英さんは素晴らしいと思っています。

そんな瀧英さんは、これまでさまざまな経験をされながら、ご縁に導かれて熊野修験の道に入られました。その中でも印象的だったのは、伊勢神宮の御垣内で着物を着て参拝される予定の日の早朝、二見興玉神社に禊のために訪れた時に、どしゃぶりの大雨で誰もいない境内で、熊野修験の方と御出会いされて、それが現在につながっているというエピソードでした。何というご縁でしょう。

ご縁がご縁を呼び、またさらなるご縁につながっていく。何かに導かれるように、自分自身を投入する何かに突き進んでいく。これまで歩いてきた道は、あ~ここに繋がっていたんだなあと実感していく。そんな瞬間がみなさんにも訪れるかもしれません。それが人生というものなのかもしれないなあと、瀧英さんのお話を聞きながら改めて思いました。

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