うっせぇわ

うっせぇわ

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

今年も残すところあと5日となりました。Amazon Musicで2021年Best Songsを聴いていたら、Adoさんの「うっせぇわ」が流れてきました。私はいつも魅惑のかちひろこさんの「うっせぇわ」を聴いていたので、原曲を最初から最後までちゃんと聴くのは初めてでした。やはりこの曲は爽快です。

♪正しさとは/愚かさとは/それが何か見せつけてやる♪♪社会人じゃ当然のルールです/はぁ?うっせぇうっせぇうっせぇわ/あなたが思うより健康です/一切合切凡庸な/あなたじゃ分からないかもね♪♪うっせぇうっせぇうっせぇわ/頭の出来が違うので問題はナシ♪♪アタシも大概だけど/どうだっていいぜ/問題はナシ♪

こうしなければならない!という枠組みの中に押し込めようとする現代社会の風潮を見事に表現している歌詞だと感心します。どうでもいいことを、いちいちいちいち、ねちねちねちねち言い聞かせようとしてくる正義感丸出しの大人に対して、若者が抱く自然な感覚なのだろうと思います。

この歌詞を見て、アメリカの心理学者であるマイケル・ビンセント・ミラーの
~愛を失うか、さもなければ愛によって自己を失うか~
というフレーズを思い出しました。

これは、親が限りある愛を権力的に利用して、子どもをよい行動や社会的に認められる成功へと導くように、子育てをすることを表しています。将来困らないように、成功するようにと、親の思い通りに子どもを矯正していくイメージでしょうか。子どもは親の期待に沿うことで、見捨てられないようにいい子を目指します。でもそうすると、子どもの自己は失われていくのです。

子どもの自己というのは、写真の梅干しの種のようなもので、性格の核の部分を中心に形成されていきます。この核の部分は生まれ持ったもので、親には変えられないものなのですが、権力的な愛によって、子どもがその核と繋がれなくなっていくと考えていただければわかりやすいかもしれません。自己を無くしたいい子が大人になっていくのです。

「うっせぇわ」の歌詞は、社会的に認められるような言動を強要されることに対して、うっせぇわ、クソだりぃな、どうだっていいぜ、問題はナシ!と言い切って、自己を大切にしようとしています。あなたが思うより健康です、頭の出来が違うのです、現代の代弁者は私です、私が俗に言う天才です!という具合にね。痛快です。

社会のルールを守ることは大前提ですが、ルールさえ守っていればあとは自由に生きていいと思っています。誰かを好きになることも、嫌いになることも、欲望のままに生きることも、自分を抑えて生きることも、感情を表現することも、表現しないことも、ポジティブに生きることも、ネガティブに生きることも、誰かと生きることも、独りを楽しんで生きることも自由に選択すればいいのです。こうでなければならないなんて誰が決めたのでしょうか?自由でいいのです。自由がいいのです。心のおもむくままに生きていきましょう。

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