お互い様

お互い様

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

昨日は犯罪被害者等支援研修会があり、第1部で武庫川女子大学の大岡由佳先生の「犯罪被害者等支援を考える」の講演、第2部で私の「犯罪被害者等へのアセスメントプランニング要領」のグループワークがありました。

大岡先生のご講演の中で、“支援”という言葉は、支援する側が上の立場、支援される側が下の立場のように聞こえるとおっしゃった被害者の方がいらしたという事例が紹介されました。日本では、被害者は「あなたは支援される側」、支援者は「私は支援する側」という立場がはっきり分かれていることが多く、被害者が支援する側にまわることを良しとしない潜在的な文化があったりします。

そういえば、熊本地震の時に緊急スクールカウンセラー派遣で三重県から臨床心理士を派遣したことがありました。その時は私が被災者支援特別部会長をしていましたので、三重県のコーディネーターをしていたのですが、受援側の熊本県の臨床心理士が「受け入れ体制が不十分で申し訳ありません」とおっしゃっていたことを思い出しました。ご自身も被災されているにもかかわらず、被災者のために活動されているお姿を見て、「こんな詩がありますよ」とその方にご紹介したことがあります。

それは、「生命(イノチ)は」という吉野弘さんの詩です。

生命は/自分自身では完結できないように/つくられているらしい/花も/めしべとおしべが揃っているだけでは/不充分で/虫や風が訪れて/めしべとおしべを仲立ちする/生命は/その中に欠如を抱き/それを他者から満たしてもらうのだ/世界は多分/他者の総和/しかし/互いに/欠如を満たすなどとは/知りもせず/知らされもせず/ばらまかれている者同士/無関心でいられる間柄/ときに/うとましく思うことさえも許されている間柄/そのように/世界はゆるやかに構成されているのは/なぜ?/花が咲いている/すぐ近くまで/虻(アブ)の姿をした他者が/光をまとって飛んできている/私もあるとき/誰かのための虻だったろう/あなたもあるとき/私のための風だったかもしれない

これは、私たちは“お互い様”という関係性の中で生きているのだと気づかされる詩だと思っています。いつ誰がどのような立場になるかわからないのだから、助けてもらえる時は助けてもらえばいいじゃない?といつも思っています。年を重ねてオムツを他人様に替えてもらわなければならなくなったら、私は「若い人にオムツを替えてもらえてラッキー!」と思うだろうな~と脳天気に考えています。きっと他人様に迷惑もたくさんかけるだろうから、今のうちに虻になったり、風になったりしておこうと思っています。

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