蝶であること

蝶であること

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

昨年の11月から、私が勤めている社会福祉法人では、2か月に1回の割合で、発達障がいのお子さんをお持ちのご家族のための家族会を開催しています。前半は私が発達障がいについての話をして、後半はみなさんのお困りごとについて分かち合いを行います。ご家族同士で話をしながら、先輩ママさん、精神科医、臨床心理士などがアドバイスをすることもあります。日頃の思いを参加者同士で分かち合うことで、少しでも気持ちがラクになってくれたらという願いのもとで家族会を始めました。

ちょうど昨日も家族会がありました。テーマは「思春期の発達課題」についてです。思春期とは、春(シュン)を思う時期ということで、性がテーマになります。生理の対応ができるのかどうか、プレイベートゾーン(水着で隠す部分)がわかるのか、性被害から守れるのかなどの困り感を分かち合い、それに対して先輩ママさんがアドバイスをされていました。

自分の子どもに障がいがあるということで、母親は自分を責めることがあります。「普通に生んであげられなくてごめんね」とおっしゃることもあります。日本では、「障がいがあること=普通であることの喪失」という考え方が強いように思います。子どもが生まれた時に、親は子どもの前途洋々たる未来を想像します。でも、障がいがあるとわかった時に失望される方も多くいます。

以前、お子さんの障がいを受容されているあるお母さんからこう言われたことがあります。「先生、チョウチョって羽に傷があると高く飛べないって知ってました?うちの子は生まれた時から羽に傷があるんだって思いました。だから、この子はもう高く飛ぶことができないんだって。」

高く飛ぶってどういうことだろう?と思いました。
チョウチョにとって一番大切なことはチョウチョであることだし、花にとって一番大切なことは花であることで、人間にとって一番大切なことは人間であることだと思っています。高く飛ぶことや、赤く咲くことや、お金をもうけることは、本当に大切なことではないような気がしますが、それは綺麗事にしか過ぎないのかもしれません。

子どもの障がいを受容するプロセスがあります。最初は障がいがあることにショックを受け、それを否認します。障がいなんてあるはずがない!と思い込みます。さまざまな現実に直面し、悲しみと怒りの感情でいっぱいになります。そのまま受容できずにあきらめてしまう親もいますが、何とか受け入れ、適応し、再起をはかります。でも、いかに落ち着いた「障がい児の親」になっても、慢性的な悲哀は訪れると言われています。これは、発達障がいだけに限らず、精神障がいも、犯罪被害も、よく似たプロセスを辿ります。

子どもの障がいを受け入れる家族が大変な思いをされていることは事実です。でも、自分の障がいのことで、家族を不幸にしてしまっているのではないかと考える子どももいて、その子どもたちがとても辛い思いをしていることも忘れてはいけないような気がしています。自らの意思で障がい児になった子どもはいないのですから。だからこそ、支援者は子どもも家族も共に支えなければならないと感じています。

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