待つということ
待つということ

オンラインカウンセリングのカナムーンです。
「明確な正解がないと漠然とした不安を抱えてしまう」というお話を伺いました。不安は精神医学的には「対象のない恐れの感情」をいいます。「将来が不安・・・」とか「どうなるかわからなくて不安・・・」とか。曖昧な状態というのは明確な正解がわからないから、心がさまよい揺れ動くのかもしれませんね。
以前のブログ「マスターセラピスト」で、熟達したセラピストは曖昧さ、複雑さなどを求め、臨床的判断の自動化を拒み、観察力を磨き、状況に深くコミットし、自身の判断について謙虚さを持ちながら、知的な挑戦をし続ける人のことを指すとお話ししたことがあります。人の心はとかく複雑なので、その複雑さを曖昧なままで持ち越していくのですね。
セラピストはまた「待つこと」を求められることも多いものです。人はすぐには変わらないことが多く、重篤なケースであればあるほど、薄皮をピンセットで一枚ずつ剥いでいくようにしか変わらない人の心を、丁寧に薄皮を持ち上げては、変容のお手伝いをしていくのです。それは気の遠くなるような作業なのですが、さまざまな偶然の想定外の働きに期待しながら、いつかは変容すると信じて待ち続けるのです。
一方で、最近は「待つこと」ができない人が増えてきていると感じることがあります。私たちはすぐに答えを欲しがります。そのほうが早くすっきりするからです。だって、「待つこと」はじっとしていること、今を封鎖すること、空白の時間を埋めること、いろいろな想像をしてしまうこと、辛抱をすること、息を止めてくぐり抜けること、答えの保証がないこと、心が揺れること、終わりがわからないこと、何もできないこと、明確な正解がないことだから、心が不安になりしんどいのです。
でもね、私は「すべてはそうなるようにできている」といつも思っています。物事には動くタイミングがあって、動かない時は今がその時ではないということなのです。必要な時には必要なことが起きるので、それまでは自らを開いたままで、偶然の想定外の働きに期待しながら、信じて待ち続けることが必要になります。そして待った人にしか経験できない「すべてはそうなるようにできている」という意味をこえた場所に到達するために、曖昧なまま心の作業をし続けることが、対人援助職には求められているのだろうと思います。
もしかしたら、待ち人来たらずという状況に陥る可能性もあるけれど、待っている間に発酵したり熟成したりする心を見つめることで、自らの観察力を磨き、知的好奇心や感受性を高めることにもつながるのだと思います。是非、明確な答えのない曖昧な不安をしっかりと抱きしめ、その状態を果敢に楽しんでみてください。そうすれば、ダブルレインボーのような奇跡に出逢えるかもしれませんよ。
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