青春の1ページ

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オンラインカウンセリングのカナムーンです。

先日、新型コロナウィルス感染症を理由に、今年は甲子園の土の持ち帰りを禁止するというニュースを見ました。高校3年間を部活動に打ち込んできた高校球児にとっては、追い打ちをかけるような悲しいニュースだったのではないかと危惧していましたが、後日送ってもらえるようです。少し安心しました。甲子園の土は、青春を賭けて頑張ってきた自分へのご褒美のような存在なのだろうと思います。

そういえば、私にも青春の1ページがあります。高校3年間をバスケットボールに打ち込み、創部21年目にして初めて、1985年開催の石川県高校総体、鳥取県国民体育大会に出場しました。と言っても、私は高校1年生の時の勉強との両立の無理がたたって、心臓肥大と脚気などを患い、途中で鬼マネージャー(と言われていました)に転向していますので、選手として出場したわけではありませんが・・・。

高校3年生になると受験勉強をしなければならず、担任から「クラブを辞めて勉強に専念しなさい」とアドバイスを受けましたが、性格が頑固なものですから、そのまま両立を続けた結果、数学の授業中に当てられて立ち上がった瞬間、膝から崩れ落ちて担架で運ばれたり、看護師だった母親に毎朝ブドウ糖注射を打ってもらって登校したりと、かなり無理をしました。その甲斐あって全国大会に出場できたわけですが、今となっては懐かしい思い出です。

青年期に部活動などの何かに自分を投入し打ち込むことは、こころの発達を考える上で、とても重要な役割を果たすと思っています。心身のリフレッシュはもちろん、エリクソンが説く青年期の心理社会的発達課題の有意義な対人関係となる仲間集団との関係性や、誰かのために自分が存在する喜びや、自分自身を知るために目の前の対象となる人や物と向き合うことの重要性など、部活動はさまざまなこころの成長の機会を青年たちに与えてくれます。

大学院時代の指導教官だった梶田正巳先生は、人生には大きな波が3つあり、第一の波(青年期)は「大人に成長・発達するための波」、第二の波(成人期)は「社会のため、人のために生きる波」、第三の波(老年期)は「自分自身に目覚める波」であり、第二の波を乗り切るためには、青年期に友だちや他人のために貢献した経験をして十分な知恵を身につける必要があるだろうとおっしゃっています。

自分のためだけに生きる一人称の幸せだけを追求するのではなく、目の前の誰かのための二人称の幸せ、さらには社会の人たちのための三人称の幸せを願うことで、私たちは本当の意味で幸福感を味わいながら生きることができるようになるのかもしれませんね。

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