無償の愛

無償の愛

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

定期的に行っている支援者のための研究会があります。そこには、様々な分野から支援者が集まるのですが、その中に児童養護施設の方がいらっしゃいます。その児童養護施設とは10年以上前からのおつきあいで、毎年クリスマスになると私はこどもたちにプレゼントを贈ったり、何か用事があって訪問する際には、足りない文房具などを購入して行ったりしています。

児童養護施設は、親と一緒に暮らせないこどもたちが生活しています。その理由は様々ですが、その中には親からの愛情を受けられずに育つこどもたちがいます。私たちは、自分が愛され大切にされたように、他者を愛したり大切にしたりする傾向がありますので、親からの愛情を受けられずに育ったこどもたちは、どのように他者を愛し大切にしたらよいかわからなかったりします。だからこそ相手を試す行動をしたり、他者を信頼できなかったり、裏切られ傷つけられることを恐れて、他者に心を開くことができなかったりすることもあります。

以前のブログで「隣る人」について書いたことがありますが、自分自身を鎧で固め、囚われた苦しみの世界から、こどもたちやそのまま大人になった人たちの魂を救い出すためには、「隣る人」が目の前のその人をあるがままに受け入れ、まるごと愛する必要があるのだろうと思います。

たとえ、その人から悲しみや苦しみをぶつけられて、裏切られたとしても、その人を待ち続け、変わらずにここに居続けること、相手からの見返りを求めず、今この瞬間その人がこの世に存在してくれているだけで幸せであると感じること、「まだできることはたくさんある」と信じて、ただその人を愛することをこの身を通して体現していくことが大切なのだろうと思います。

そうすることで、その人は誰かが自分に深く関わることを許せるようになったり、相手を信頼し愛することができるようになったり、自分が幸せになってもいいと自分を許し愛することができるようになったりするのかもしれません。

マザー・テレサは「必要な時に必要なことが起きる」と言っています。だからこそ、「隣る人」はその人の幸せを願い、ただ呼吸をするようにその人を愛しながら、然るべき場所にいて、然るべき時を待つ。それが無償の愛なのかもしれないと感じています。そして、私も穏やかな笑顔でその人に寄り添い、そのような「隣る人」になりたいと思っています。

最近リリースされた米津玄師さんのアルバムの中に「カナリヤ」という曲があります。その歌詞に込められた時を超える無償の愛に触発され、今回このようなブログになりました。興味のある方は、窓から吹き込む「♪はためく風♪」を感じながら、是非聴いてみてください。

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