自分の木

自分の木

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

南伊勢町にある旧穂原小学校のオハツキイチョウ(写真)を見に行ってきました。推定樹齢約400年の大イチョウで、樹高は20mあります。まだ葉が緑色でしたが、その迫力は小学校の校舎が小さく感じられるほどでした。

校庭にはベビーカーに赤ちゃんを乗せた女性がいて、陽だまりの中で赤ちゃんを抱き上げ、ミルクをあげていました。帰り際に「お邪魔しました」と声をかけると、「どちらからいらしたのですか?」と聞かれ、「松阪からです」と答えると、「そんなに遠くから来てくれたのですか?嬉しいです」と笑顔で返してくれました。

少しお話を伺うと、彼女はこの穂原小学校の卒業生らしく、小学校自体は10年程前に閉校になったようですが、この近所の方と結婚されて、地元に戻っていらしたようです。お天気のいい日は赤ちゃんを連れて、出身校の大イチョウの木陰にいらっしゃるのでしょう。「今週末にはライトアップがあって、とても綺麗なんですよ」と教えてくれました。

帰途につく車の中で、彼女のことを思い出しました。彼女にとってあの大イチョウは、とても大切な木なのだろうと思いました。私にとっての“約束の木”と同じように。

山尾三省は『アニミズムの希望』という本の中で、次のように言っています。

「皆さんもご自分の木というものをこの世界のどこかに見つけるといいと思うんですね。ただ一本の樹木でも、それを自分のカミの樹として持つことができるなら、世界はそれだけで意味を回復します。」「自分の生死(しょうじ)を託すほど大事にする木というものを見つけてしまうと、生きるということがずいぶん豊かに、楽になります。楽しくなります。困った時にはその木に会いに行けばいいし、遠すぎる時にはイメージすることも出来るんですよね。楽しい時であっても、その木に喜びを告げることが出来ます。やっぱり人間というのは不思議なもので、苦しい時の神頼みといいますよね。苦しいことが本当に起こるんですね。誰でも必然のように苦しいことに出会う。そういう時にその木が助けてくれるんですよね。イメージするだけで助けてくれる。」

木はその場から動くことなく、ずっと存在し続けてくれています。まさしく変わらずそこに居続けてくれるbeingな存在です。その存在が自分を支えてくれることがあるのですね。私にとってはそれが“約束の木”なのですが、そういう存在を持てていることで何だか強く生きられるような気がするのです。きっと彼女にとっても、あの大イチョウはそういう存在なのだと思います。

みなさんは、ご自分の木をお持ちですか?

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