寂びた美

寂びた美

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

先日、所用で金沢市を旅した時に、金沢21世紀美術館にちょこっと立ち寄りました。『NAKED meets 千利休』を見るためです。今年は千利休生誕500年でもあり、アートエキシビジョンで表現する茶の湯の世界観に浸りたいな~と思い、当日日時指定の予約を取りました。

案の定、モノクロと色とりどりの映像で表される千利休のおもてなしの世界に引き込まれました。その中でも、千利休が残した言葉が印象に残りました。「和敬清寂(わけいせいじゃく)」です。

和 心を合わせ、和らぐ
敬 お互いを敬いあう
清 清らかである
寂 寂びた美である

この「和敬清寂」にはすべてのお茶の心が込められていると言われています。私は、最後の「寂びた美」が一体何を意味するのかとても興味深く感じました。「寂びるって何?」寂びるとは、古くなって特有の趣が出る、古めかしい味わいがある、物静かで趣があるという意味があるようです。古めかしくて物静かであるということは、年をとることに通じるような気がして、まさに老いらくの美であるのかしら?と思ったりして。古くなることにも趣があり、心静かに動じることのない美しさを、千利休の世界観に見ることができました。

帰りの特急の中で、動じない心ね~なんて考えていた時に、一つ前を走っている特急が動物と接触して止まってしまったのです。え~っ!接続の最終電車に間に合わない~!と動揺してしまい、「寂びた美」どころではなくなってしまいました。まだまだ修行が足りないようです。結局お盆の最中ではありましたが、何とかホテルを予約することができて、翌朝一番の電車で帰宅しました。

ふと、千利休の利休道歌の五首目を思い出しました。

『上手には好きと器用と功積むと この三つ揃ふ人ぞ能くしる』(名人上手になるためには「好きであること」、「器用であること」、最後に「たゆまぬ研鑽(修行)」である)ことを千利休は説いています。さあ、これからも修行は続いていきます。この人生の旅を心して参りましょう。

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