マジックアワー

マジックアワー

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

マジックアワーの写真が愉快な仲間たちから送られてきました。マジックアワーとは日没後の太陽は沈みきっていながら、まだ辺りが残光に照らされているほんのわずかな、しかし最も美しい時間帯のことを指す写真・映画用語です。だからこそマジックアワーという言葉ができたのだと思います。

この時間帯は残光に照らされている状態なので、辺りにいる人が一体誰なのかがよくわからない時間帯でもあります。これを黄昏と言います。黄昏は、江戸時代までは「誰そ彼(たそかれ)」という「誰ですか?あなたは?」とたずねる頃合いという意味もありました。お化粧を落とした女性が朝起きてきたのを見て「どちらさまですか?」と聞く男性のお話を聞いたことがありますが、それとは意味合いが違うようです・・・。失礼な話です(笑)。

黄昏の動詞化の用法で、日が暮れて薄暗くなり始めた頃を「空が黄昏れる」と言うことがあります。これを人の人生に当てはめて、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏れた人」などのように表現されることもあります。何だか、黄昏にはあまりいい印象がないような気がします。せっかくのマジックアワーなのにね。

そういえば、1月10日は成人の日でした。成人の日は20歳のお祝いの日ですから、黄昏れた人とは対照的な人たちのお祝いです。上昇的な発達をしている勢いのある時期を生きている若者ですが、これからどんどん大人になり、清濁併せのむようなグレーゾーンも許容していくことになるでしょう。

大人になるということは、「上手にケンカができるようになること」と表現した心理学者がいました。「私はこう思うのよ。あなたはどう思うのかしら?なるほど・・・それではここで折り合いをつけましょう」とお互いの意見を出し合い、お互いに妥協点を探していくというケンカができるようになると、清濁併せのむ楽しさを発見できるのかもしれません。

私は成人の日の1月10日で54歳になりました。四捨五入すると百歳ですから、まさに「黄昏れた人」の仲間入りをしています。辺りが残光に照らされて「どちらさまですか?」と聞かれる時間帯を生きているのかもしれないな~と思っています。でも、はっきり顔が見えない薄ぼんやりした関係性を楽しめるのも、人生の盛りを過ぎて、いい加減に力が抜けているからなのでしょう。この時期が一番楽しいのかもしれませんよ。まさに人生のマジックアワーですね(笑)。

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