天真爛漫

天真爛漫

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

11月9日に作家で天台宗・尼僧の瀬戸内寂聴さんが亡くなられました。99歳でした。墓石には「愛した、書いた、祈った」と刻まれるそうです。心からご冥福をお祈り申し上げます。

墓石に象徴されるように、寂聴さんは愛に生きた女性だと感じています。かつて夫の教え子だった妻子持ちの作家と愛し合い、小さい子どもを家に残し駆け落ちした過去を持ちます。何という自分に正直な!と感心します。晩年のあの天真爛漫で純粋な寂聴さんを拝見すると、なるほど~と頷けるような気がします。

その寂聴さんの著書の中に、次のような件(クダリ)があります。
「私の女学校の友人に、終戦後から二十年の間に四度結婚した人がいます。世間はよく性こりもなくと嘲った時期がありましたが、四度めの結婚をして、四度めにようやくめぐりあった性のあう、そして真剣に一緒に暮らすことに情熱を示す現在のご主人を得た後の幸福な彼女の毎日を見て、今では誰も笑う人はいなくなりました」

幸せになるために何度も挑戦することはとても素晴らしいことです。本当に性のあう人と一緒にいることがこの上ない幸せだと思うのですよ。逆に言えば、一緒にいて幸せになれない人は手放してあげたほうが、相手のためになるような気がしています。それが相手の幸せなのかもしれませんね。

山口慶明さんのSNSの投稿が先日話題になりました。アメリカ人は結婚何年たっても仲のいい夫婦が日本に比べて多くて「愛情表現の多さの差かなぁ素敵だな」とか思っていたんですが、「いやアメリカ人は基本我慢なんてしないから単純に愛し合ってなかったら即離婚するからだよ」と言われて腹落ちした..という内容でした。おそらくアメリカ人の多くは結婚に幸せを求めているのでしょう。だから、幸せになれない結婚はすぐに手放すのですね。

何かのインタビューで、寂聴さんが家に残してきた子どもが成人してから会いに来てくれるのだけれど、何だか気まずくてね~とおっしゃっていたことを思い出しました。また、駆け落ちした妻子持ちの男性のお子さんである井上荒野さんが、両親と寂聴さんのことを書いた『あちらにいる鬼』を出版する前に、寂聴さんに会いに行きました。その時に寂聴さんがその男性のことばかり話している姿をみて、荒野さんは寂聴さんが自分の父親を心から愛していたことを実感されたそうです。

その寂聴さんが荒野さんの出版に対して次のようなコメントを残しています。
「五歳の娘が将来小説家になることを信じて疑わなかった亡き父の魂は、この小説の誕生を誰よりも深い喜びを持って迎えたことだろう。作者の母も父に劣らない文学的才能の持主だった。作者の未来は、いっそう輝きにみちている。百も千もおめでとう」

寂聴さんはすべての人をありのままに受け入れる天真爛漫さを持った女性だったのだろうと思います。誰かを愛するということは、もしかしたら誰かを傷つける結果になるのかもしれません。でも、それぞれが自らの人生を歩み始めた時にその意味を知り、最後はそうなるようにできているという幸せを感じることができるのではないかと思っています。それを体現されたのが寂聴さんだったのではないかなと感じています。

みなさん、自分に正直に自由に生きてみませんか。それが幸せになる第一歩なのかもしれませんよ。

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