一滴の水

一滴の水

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

先日、2012年に京都府亀岡市で発生した交通事件のご遺族とお会いしました。中江美則さんという方です。中江さんは歯に衣着せぬ意見をおっしゃることが多いので、闘う遺族というイメージをお持ちの方も多いと思います。今日も池袋・暴走事故についてコメントを寄せられている記事を拝見したところです。

実際にお会いしてみると、とても謙虚でお優しい方です。ざっくばらんにお話をして下さり、いつも目の前の私たちをとても気遣ってくれます。報道で見る中江さんのお姿とはかなり印象が違います。私たちが目にするニュースは、報道したい部分だけを切り取り、そこだけを私たち大衆に見せることが多いので、ありのままを正しく伝えることが非常に難しいことを実感することがあります。

私は犯罪被害者支援をしていますので、闘うご遺族の支援をすることもあります。犯罪とは理不尽な行為であり、その結果として被害者は理不尽な境遇に追い込まれていく現実を目の当たりにしてきました。法律の壁、制度の壁、支援の壁など、さまざまな壁が立ちはだかります。それらを改善しようとして、被害者やその家族・遺族は傷ついた心に鞭打って声を上げ、闘い続けることを余儀なくされることもあります。

そして、声を上げる被害者やその家族・遺族は、その事情もよく知らない人々によって誹謗中傷されることも多く、いわゆる二次被害でさらに心を傷つけられることも珍しくありません。中江さんも同様に、たくさんの人たちから傷つけられてきたとおっしゃっていました。それでも前に出て闘い続けている中江さんを拝見していると、胸が痛くなります。

写真の手水鉢の右上の一滴の水の波紋を見て、あ~この水滴は中江さんのようだと思いました。私たちは手水鉢の中の水です。私たちは誰がいつ被害に遭うかわかりません。被害者は被害に遭いたくて被害者になるわけではないのです。道を歩いていたり、電車に乗っていたりという当たり前の日常の中で、私たちは被害に遭うことがあるのです。だから、犯罪被害は私たち全員に起こりえることで、私たち全員が当事者であることを忘れてはいけないのだと思っています。

その私たちの中で、中江さんが交通事件のご遺族になられました。中江さんは自分と同じ思いをする人がもう二度と現れないように、声を上げ続けて下さっています。それは同じ水である私たちの代表として、表に出て水滴のように目立ち続け主張されていることと同義なのです。私たちを守るために闘ってくれている人に対して、同じ水である私たちが感謝こそすれ、誹謗中傷をすることがあってはならないと感じています。

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