オンラインカウンセリングのカナムーンです。

1月8日に父が亡くなりました。87歳でした。これまで何度も救急車で搬送され、その度に不死身のごとく回復してきましたので、今回も望みは持っていたのですが、それは叶いませんでした。

25年程前に脳梗塞を発症したことから左半身が不自由になり、10年前に妻(私の母)を亡くしてから、「はよ、お母さん迎えに来てくれやんかな」とずっと口にしていましたので、父が息絶えた直後に「よう頑張ったな。お母さん迎えにきてくれてよかったな。おつかれさまでした」と声をかけました。

そんな父との思い出はたくさんあります。このブログでも、父にせん妄が出た時の忍びの話はご紹介したことがありましたが、時に大胆で、時に不安がいっぱいの厳しく優しい父親でした。

父は、私が幼稚園児の頃に、長島温泉のプールに私を抱きかかえたまま飛び込んだことがありました。私はあまりの恐怖で水の中でもがき苦しみ、目を見開いて泡が立ち上っていくさまを見ていたことを今でも鮮明に覚えています。それから水が怖くなり、小学校5年生まで母に頭を洗ってもらっていました。アーノルド坊やのラットの恐怖条件付けの実験をまさに地でいったような出来事でした。水を克服するのにとても苦労しましたので、このことでは父を今でも恨んでいます(笑)。

大学1年生の時に、アメリカに留学したいと相談した次の日には、父はショックで記憶を無くしました。当時飛行機に乗せて海外に出すのは、永遠の別れのような思い込みがあったのでしょうか。いわゆる心的外傷やストレスによって引き起こされる解離性健忘にあたります。結局、父のショックを考えてアメリカ留学は取りやめにしました。その後も、私が海外旅行に行くときは、もうこれで会えないかもしれないと父は覚悟を決めて送り出していたようです。そして無事に家に戻ると、「飛行機はジャンボやったか?」と決まったように質問してきました。「本当にどもならん!大げさなんやって!」といつもあきれていたこと覚えています。

母を亡くし、自宅で身の回りの世話ができなくなってから父は施設に入りました。施設はレクリエーションが豊富で食事もおいしいとご満悦でしたが、暇を見つけては「元気ですか?」とよく電話をくれていました。電話に出て「元気ですよ。元気ですか?」と聞き返すと「元気ですよ。それじゃあ」とすぐに電話を切っていくのです。まさにムダを一切省いた安否確認の定期連絡でした。

本当におもしろい父親でした。生きることも日常、死ぬことも日常です。まさに日常の出来事のように自然に父を見送りたいと思います。今晩は父の面白いエピソードがたくさん聞かれる通夜式になりますよ。父と共に笑いたいと思います。

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