いかづち

いかづち

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

先日、京都市北区にある上賀茂神社に行きました。上賀茂神社は神話の時代から続く、京都でもっとも古い神社で、正式名称は賀茂別雷神社(かもわけいちづちじんじゃ)と言います。平安時代から続く葵祭は、京都御所からスタートし、下鴨神社を経由して、上賀茂神社に到着します。平安貴族の衣装を着た人々が歩く姿は、古都の雅を感じさせてくれますね。

この上賀茂神社のご祭神は、賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)ですが、この「いかづち」から思い出したことがありました。私が大学で受講したやまとことばの授業で聞いた「いかづち」の説明です。「いかづち」を漢字で書くと、雷もしくは厳つ霊です。厳は神聖であることを表し、「い」の音で始まることばは、すべて厳かであるとされているということでした。日本語はひらがなで考えると、がぜん面白くなるのだな~と思った記憶が蘇りました。

そういえば、「いかづち」に似たことばに「いのち」があります。最初の「い」と最後の「ち」が同じです。「い」の音で始まる言葉は厳かであり、「ち」の音は霊格を意味します。

もう少し掘り下げてみますと、「いきる」の古語は「いく」ですが、このなかには「息をする」という「いき」が隠れています。息は命の根源に結びつくものであり、生命活動の基本です。「いのち」は「忌(斎)の霊」とも書くようで、忌み尊ぶべき霊格でもあるようです。

この「いのち」・・・万葉の人たちは命の根源を恋歌に込めていたとも言われています。「いのち」というものは、いきいきと生きる喜びを求める存在で、その究極である根源的な命を互いに見つめて反応させていくことを恋愛に求めていたのかもしれません。限りある時間の中で、肉体を失うまでの間、お互いの感情を思う存分味わうことが「いのち」の醍醐味なのだと思います。

私たち現代人は「いのち」は限りあるものと捉えていますが、古代の人々はそう考えてはいませんでした。古代の人々は、人間の肉体がやがては萎びて死んでいくものだと認識しつつも、それとは別に、霊魂としての「いのち」があって、それは永遠に続くものだと考えていたようです。それが「たましい(魂(玉)し日(火))」です。

そして古代人は、この「たましい」は「こころ」の中にあって、「こころ」はどうやら内蔵のなかにあると思っていたようです。そして、形は玉のような球形だと。これは永遠を示す「ひ(日)」という太陽から来ているのではないかと思います。私たちのこころの中には、赤く燃える太陽のような「たましい」が宿っているのかもしれませんね。

何だか、天照大神(あまてらすおおみかみ)が脳裏をよぎりました。晴れた日に、皇大神宮(内宮)に行ってみようと思います。

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