こころの扉
こころの扉

オンラインカウンセリングのカナムーンです。
昨日は少年鑑別所に行っていました。さまざまな事情から罪を犯した少年をどのように支援するかを検討するためです。いつ、どこで、誰のもとに生まれるのかによって、人の人生は変わるものなのだなあと、加害少年と出会うたびに改めて実感します。
ちょうど1か月前に亡くなられた分子生物学者の村上和雄さんと東京大学大学院教授の矢作直樹さんが書かれた著書の中に、2003年のダライ・ラマ法王の来日講演会のエピソードが書かれていたことを思い出しました。
ダライ・ラマ法王は、「ブッダは、慈悲の心でテロリストの親玉であるウサマ・ビン・ラディン氏を説得できますか?」という質問に、次のように答えたと言われています。
「それは難しい。しかし、チャンスがあれば私はビン・ラディン氏に会ってみたい。すべての人は、仏の子どもである。彼は、あの時代に生まれてその時期にテロリストになった。仮にアメリカに生まれていたら、テロリストの撲滅のために働いていたかもしれない。いろいろなご縁によっていろいろな思われ方をしているわけで、それでもすべての人は、仏の子どもである」と。
そういえば、同じようなことをティク・ナット・ハン氏も言われていたなあと思い出しました。ベトナム戦争の最中に命からがら逃れてきた小さな難民ボートの少女が、タイの海賊に強姦され、直後彼女が海に飛び込んで自殺したという手紙を受け取った際に、彼は非常に悲しまれました。でも、その海賊も海賊の親のもとに生まれていなければ、そんな罪を犯すことはなかっただろうとおっしゃったのですね。
その時にティク・ナット・ハン氏が書かれた詩の一節をご紹介します。「私を本当の名前で呼んでください/すべての叫びとすべての笑い声が/同時にこの耳にとどくように/喜びと悲しみが/ひとつのすがたでこの瞳に映るように/私を本当の名前で呼んでください/私が目覚め/こころの扉の奥の/慈悲の扉がひらかれるように」
被害者の叫びや悲しみを受けとめながら、加害者の心に寄り添うことができるのかどうか・・・。私自身が目覚め、こころの奥の慈悲の扉を開くことができるのかどうか・・・。難しい段階に入ってきたなあと思いながらも、罪を犯した少年たちに向き合っていくことができたらなあと願わずにはいられない新月の夜でした。
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