白蓮華

白蓮華

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

今回の写真は、7月に撮影した民話の駅・蘇民の大賀蓮です。美しいですね。この大賀蓮は縄文時代に咲いていた古代蓮の一種でピンク色をしていますが、仏教ではブッダの教えを白い蓮の花に例えることがあります。

遠藤太禅師は「この泥があればこそ咲く白蓮華(ビャクレンゲ)」と詠み、白蓮華のような美しい人生とは、泥のような悲しみや苦しみを乗り越えた人生であるとおっしゃっています。逆に言えば、泥のような悲しみや苦しみがなければ、美しい白蓮華は咲かないのかもしれませんね。それを親鸞は、「苦しみや悲しみをしっかり見届けながら乗り越えて、自分の人生を生きた素晴らしい人を白蓮華のような美しい人(分陀利華・フンダリケ)」と称しています。

苦しみや悲しみは人生につきものですから、みなさんもたくさん苦しみや悲しみを経験していらっしゃることと思います。

いつも脳天気に生きている私にも人間関係がしんどい時期がありました。この苦しみを見届けながら乗り越えられたらと思い奮闘しました。「悪口や批判は栄養にするのですよ」と教えて下さった方もいらっしゃいました。でも、ブッダの「嫌な相手や敵からの仕打ちがどれほどでも、邪(ヨコシマ)な心がもたらす害にはおよばない」という言葉にあるように、相手を正しくない心で見てしまうことの害を感じるようになり、その場から立ち去る判断をしたこともありました。

それからというもの、一緒にいて心地よい人としか接しなくなりましたし、やりたい仕事しかしなくなりました。違和感を持つものからは離れるようにしています。泥を避けて生きているような気もしますが、邪な心の種を自分で蒔くことのないように心がけています。それでも、被害者支援をしていると苦しみや悲しみに自ら入っていかなければならない場面も出てくるのは確かです。

最近思うことは、苦しみや悲しみに直面するようなことがあれば、それをしっかり眺めて、味わい尽くして、楽しむぐらいの余裕を持ちたいと考えています。また、嫌な相手や敵からの仕打ちがどれほどでも、どのような毒を盛られても(おそろしい・・・)、それを浄化して「はい、ど~ぞ~」と笑顔で相手にお戻しできるようになれたらどんなにステキだろうと思うようになりました。悪を善に変えていける、毒を薬に変えていける、泥の中にいてもフンダリケとして気高く咲き誇っていられるようになれたらと思う今日この頃です。

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