冬季オリンピック
冬季オリンピック

オンラインカウンセリングのカナムーンです。
現在、ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックが開催されています。私は、連日のテレビ放映をワクワク・ドキドキしながら観戦しています。人間のからだって有限なのだけれど、でも無限の可能性を秘めているのだなあと日々実感しています。
なかでも、スノーボードの競技はまさに命がけで、横にも縦にもクルクル回りながら着地するという、人間技とは思えないような様相を呈しています。体操競技もそうなのですが、空中にいる間は、上下の感覚はどうなっているのだろうと不思議に思います。
彼らは、耳の奥にある平衡感覚器官(前庭器官)で空間識を捉え、空中という無重力状態で筋肉や関節、腱(固有感覚)からの情報を統合し、特定の視覚的指標(地面や天井など)を瞬時に探すことで、回転中も自己の位置を把握していると言われています。
数年前、私は暗闇のなかで縁石に足をとられ、腕をクルクル振り回しながらからだを回転させ、上か下かわからない状態で、思いっきり尻もちをついたことがありました。次の日には整形外科を受診し手当をしてもらいましたので、その難しさを自らのからだをもって体験したことがあります。
さて、今回のオリンピックで最も感銘を受けたのが、ハーフパイプの平野歩夢さんの怪我でした。オリンピックまで1カ月を切る中で骨盤の腸骨などの複数個所を骨折したにも関わらず、「可能性が1パーセントでもあるのであればここで滑りたい」と現地入りをして、予選を通過したのです。
そして、予選後のインタビューでは「色々なことを無にさせていかなきゃいけないというか、怪我のことを考えるのもよくないし、オリンピックっていう先入観を持つことも、気持ち的に普段の自分とズレができてしまうので、そういうことは考えず、怪我もそうですけど、お客さんの声援だったりとかも自分の中からかき消して滑りました」と答えていました。
その表情は、すべての憑きものがすっかり削がれた仏のような、まさに“無”という表情だなあと感じました。世界のトップランナーとして走り続けてきた彼が、オリンピック直前で大怪我をしたことを受け容れ、大いなるものにすべてを委ねているのだろうなあと思いました。
結果は7位でしたが、「生きるか死ぬかみたいな気持ちはどこかに覚悟して持って挑んだつもりだったけど(中略)生きててよかったなという気持ちになれてるところはあります」と平野さんは話していたようです。本当に生きていてよかったです。安堵しています。
with k 4E #515






