アーチェリーという希望

アーチェリーという希望

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

この写真は、アーチェリーをしている我が子です。高校生から始めたアーチェリーと相性がよかったようで、現在は県の強化選手として活動をしています。InstagramやFacebookに掲載したところ「かっこいい」とコメントを下さる方もいて、はっきり写っていないとかっこよく見えるんだなあと思ったりして…。いえいえ、実物はもっとかっこいいですよ(笑)。親バカですね。

と言っても、私はまったく母親らしくありません。我が子が1歳で保育園に通い始めてからは、私のあずかり知らないところで彼の人生が繰り広げられていくのだと実感し、○○さんと名前をさん付けで呼ぶようになりました。私とは別の人格を持つ一人の人間として接するようになったのだと思います。ですから、我が子とは言いながら、同居人のような感覚のほうが大きいのかもしれません。

この前も講演会の講師を務めたときに、「高校3年生の息子さんのお母さんでもあります」と紹介されて、「あっ!そうだった!お母さんだった!」と改めて気づくほど、母親としての自覚がありません。かろうじてあるのは、彼の体は私が作った料理で作られていくので、料理だけは何とかこなしていかなければ…と思うぐらいのものです。

話をもとに戻しましょう。

この日はアーチェリーの記録会でした。私の姉は連休が続くと鬱になりそうだと言うので(この話はまた別の機会に)、「それじゃあ、アーチェリーの記録会を見に行く?」と誘うと、「行く」と答えたので、会場まで足を運びました。とても静かに進行していく記録会で、部活の顧問の先生からは「お母さん、面白くないでしょ」と言われるほど…(笑)。

そんな彼のアーチェリーをしている姿を見ながら、この日の朝に聴いていたMrs. GREEN APPLEの「Soranji」の歌詞を思い出しました。♪ちっちゃな希望を 迷わず信じて 信じて欲しい♪♪暗闇が続こうと 貴方を探していたい だから生きて、生きてて欲しい♪

私たちの人生は辛く苦しいことが多いような気がしています。この辛く苦しい人生を乗り越えていくには、“希望”がとても大切であると確信しています。彼の希望は何だろう?と自問自答したときに、目の前のアーチェリーが一つの希望になり得るのではないだろうかと感じました。親の役割は、子どもが人生を歩んでいくときに大切にできる“希望”を、見つける手助けをすることなのかもしれないなあと、彼の姿を見ながらふと感じた次第です。

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