オンラインカウンセリングのカナムーンです。

年末にかけて被害者支援のカウンセリングが入り、なかなか仕事納めができない状態です。被害者の方お一人のカウンセリングをすると、そのご家族全員へのカウンセリングに広がることも多く、年明け早々その予定が入っています。

以前のブログ「心の投影」で、二次受傷のお話をしました。犯罪や暴力によって外傷体験を負った人に共感することで、まるでその人が体験した同じ外傷をカウンセリング中に負ってしまうことがあります。犯罪はその破壊力の強さから、二次受傷によって立ち直れなくなるカウンセラーもいます。

「二次受傷を負った時にはどうすればいいのですか?」と質問されることがあります。その時はまず、自分が二次受傷を負っていることを見留め、人と交わり、自分の気持ちを信頼できる人に話したり(カウンセリングの内容は話しませんよ)、深呼吸したり、十分に休息を取ったりと、自分に合った対処法で傷を癒すことになります。私の場合は温浴施設に行くことが多いのですが、重くなるとハイキングに出かけることもあります。

二次受傷を負わなくても、定期的に温浴施設に行き、写真のお猿さんのように露天風呂で2時間ほど、長い時には4時間ほど、泥のように入浴しています。ストレスをお湯に溶かしているイメージでしょうか。お湯が汚れそう・・・。「そんなに入っていたらふやけませんか?」と聞かれることもありますが、もう年齢も重ねているので普段からふやけていると言っても過言ではありません。

でも、いつもの私はしっかりしているイメージがあるようで、そんなフニャフニャしている私が想像つかないとおっしゃる方もいます。私の名前には“律”という字が入っていて、この“律”はルールという意味ですので、名前からもきっちりしていると思われているのでしょうか。日本で初めて制定された刑法が入った法律は大宝律令(701年制定)ですが、この“律”が刑法という意味らしいですね。仏教ではこの“律”は、お坊さんが守らなければならない規則のことをいいます。

大宝律令から遡ること604年に、聖徳太子が制定した十七条憲法の冒頭に書かれた「和をもって貴しとなす」という言葉はとても有名です。これは日本人の心の原点だとも言われています。ですが、この言葉はもともと「論語」が出典です。孔子の弟子有若(ユウジャク)は、「礼の用は和を貴しとなす。」と言っていて、どんな場合でも和の心さえあれば十分だというわけではなく、一方で礼による折り目が無いと、せっかくの和もうまくいかぬことがあると説明しています。礼は社会生活の規範であり、ルールでもあります。この規範と和は車の両輪でもあるようです。

しっかりしているように見える私でも、二次受傷に苛まれるケースもあります。そんな時は、和を求め、信頼できる人に心情を吐露し、心の安定をはかりながら、一人でも多くの被害に遭われた方と共にいたいと思います。そういえば、私は申年でした。やっぱり写真のお猿さんと同じです(笑)。今日も温浴施設に行って、心の安定を保ちたいと思います。

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