雪舟絶筆

雪舟絶筆

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

京都国立博物館に“雪舟伝説”という展覧会を見に行きました。「これは雪舟展ではありません」という注釈がついていますが、「これは“ただの”雪舟展ではありません」と言い換えることができるほど、雪舟のカリスマ性を表現している見応えのある展覧会でした。

雪舟の後に続く長谷川派、雲谷派、狩野派画家たちが、こぞって雪舟の画を真似て描きその技法を学んでいく過程が、彼らの作品を通して、ありありとこの目で見留めることができる作品展でした。雪舟の国宝に認定された6作品も間近で鑑賞することができました。

その6作品のなかで、私がもっとも感銘を受けたのが、雪舟の絶筆である『山水図』でした。画上左側の賛に、友人の禅僧・了庵桂悟が「雪舟逝く」としたためてあり、揮毫されたのが1507年で、この少し前に雪舟は87歳ぐらいで亡くなったと考えられているため、この『山水図』が絶筆であろうとされているようです。

『山水図』は雪舟の特徴をよく表していて、岩や小径、楼閣や屹立する山々を幾重にも重ね合わせる画面構成になっているのですが、これまでにない山の上に松の木が一本すっと立っている構図になっています。そして、この作品は墨の色がとても濃いのです(写真でご紹介できるといいのですが、日本の作品は撮影禁止が多いので、ご自身で調べてみてください)。

中央に描かれた濃い色のすっとした松の木を見て、樹木画による人格診断法のバウム・テストを思い出しました。「一本の実のなる木を描いてください」という教示のもとに、A4版の用紙に鉛筆で木を描くだけの描画投影法です。バウムというのはドイツ語で木のことをいいますので、まさに木を描くテストで、バウム・テストです。

どうして木を描くことになったのかというと、ヘルマン・ブルンナーの著書『樹木』にヒントを得ています。ヘルマンは木と人間の問題について次のように述べています。「木の形と人間の形との間には一つの関係がある。木の植物生活は立像という点で最もよく人間性と類似している。木との銘記すべき出会いは、とりもなおさず自分自身との出会いであるといえないだろうか。」

そして、バウム・テストを考案したコッホは、ヘルマンの著作から、植物は幹の中心から外へ外へと生長する解放系である一方、人間や動物の身体構造はあらゆるものが内に向かう閉鎖系であることを示しています。しかし、人間の精神は内から外へ向かう解放系であり、私たちの内部存在は木の外へ向かう性質と法則を同じにし、樹木画は人間存在の何たるかを描き出すのではないかという発想を得て、バウム・テストを確立していったのです。

そして、雪舟絶筆の『山水図』には、中心に一本の松の木が濃く描かれているのです。この松の木は雪舟の人間存在そのもので、「私はここにいる」「私はここに生きた」ことを最後に表現したかったのではないかと、松の木から感じることができました。荒々しく力強い筆致でした。「雪舟ここにあり!」でした。

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