高校球児

高校球児

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

暑い日が続いています。国連のアントニオ・グテーレス事務総長が「地球沸騰化の時代に入った」という表現を使っていますが、まさにその通りで、今後これまでには想像がつかなかったような自然現象が起きるのではないかと思います。

熱いと言えば、甲子園でも高校球児たちによる熱戦が繰り広げられています。その中でも今年は、女子マネジャーが甲子園の土を集める姿が注目されたり、坊主頭ではない慶應高校球児がクローズアップされたりしています。ここが日本らしいニュースの取り上げられ方だなあと思います。

多くの日本人の中には、甲子園=坊主頭の男子高校生という図式が明確にあるのです。

野球帽を取ったときに思い思いの髪型を見た観客からは「髪の毛を切ってから、出直してこい」というヤジが飛んだようで、非常に滑稽に感じました。甲子園から連想させるイメージが刷り込まれていることに、観客自体が、大きく言えば日本国民自体が気づいていないのです。

いつまで大人は子どもを管理しておきたいのでしょうか。高校球児は礼儀正しい坊主頭の男子高校生なのである。選手は監督の言うことを聞くものである。子どもは大人の言うことを聞くのが当然なのだ。だから、子どもは何も考えなくていい、とにかく大人の言うことをよく聞いて、目の前のことだけに一生懸命に励めばいいというステレオタイプを私たちは刷り込まれているように感じます。

私たちは一人ひとり異なる人格を持ってこの世に生まれてきます。子どもは地球年齢が若いので自然な性質を十分に持ち合わせているため、地球での経験を積んだ大人からのサポートが必要なのは事実ですが、それでも一人ひとりが自由に自分のことを決めることができます。私たち一人ひとりは自由なのです。

子どもを旧来の堅苦しい型にはめるのは、もうそろそろ辞めにしてはどうでしょうか。確かに型にはめてしまったほうが、大人が管理しやすいのは事実です。でもね、子どもより大人のほうが偉いわけではありません。子どもも大人も対等です。子どもは自然な存在なので、沸騰化する前に、地球と同様にその在り方を再度見つめ、子どもを尊重する姿勢を、私たちは身につける必要があるのかもしれませんね。

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