心丈夫

心丈夫

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

先日、久しぶりに伊勢神宮の内宮にお参りに行きました。おかげ横丁は観光客がいっぱいで、まるで東京の原宿のような賑わいでした。そして、外国人の観光客の人たちの多さに驚き、あ~日常が戻りつつあるなあと実感しました。

私は中学生の頃から伊勢神宮が好きで、一人で電車に乗って内宮や外宮に参拝によく足を運んでいました。その頃は、40年以上前のことですから、ほとんど観光客もいなかったように思います。玉砂利の上をザッザッと歩くのが好きで、その音を楽しみながら、伊勢神宮の空気感に浸っていたのですよ。

内宮のお参りを終えて、おはらい町通りに入ろうとする手前のお手洗いの脇に、ひなたぼっこをしている猫を見つけました。まあ気持ちよさそうに横になっていて、観光客が近づいてもまったく動こうとしません。人に慣れている猫でした。

そんな猫を見ていたら、運命の猫“じぇーもん”を思い出しました。広島でローディーのスージーくんが拾ってきてくれた猫で、そこから20年以上を共にした猫です。詳しくは『隣る人 心が弱ったときに開いてほしい本』の“運命の猫”のページをご覧ください(笑)。私が結婚をして実家を離れてからは、猫嫌いの両親がじぇーもんの面倒を見てくれていました。

猫が嫌いだった両親は、じぇーもんを実家に連れて帰ったときには、「2階の部屋から出さんといて」と敬遠していましたが、ときどき両親のもとに姿を現すじぇーもんにどんどん情が移っていったようでした。

母は「おいっ、じぇーもん」と言いながら、軽くじぇーもんの背中をタッチできるようになり、父は横たわっているじぇーもんを見て「おいっ、じぇーもんに布団かけたれ」と気遣ってくれるようになりました。「じぇーもんは毛で覆われてるから布団かけなくても大丈夫よ」と私が答えると、「そうか~っ」と父親はびっくりしていましたが……。

今は亡きじぇーもんと両親のことを思い出しながら、おはらい町を歩いていると、何だか心があったかくなりました。体がなくなってしまうと声を聞いたり姿を見たりすることはできないのですが、私の中で生き続けていてくれることは確かなのだなあと改めて実感しました。そうすると、いつもじぇーもんや両親と一緒に生きていることになりますね。人は誰かを心の中に住まわせて生きています。一人ぼっちで生きているわけではないのですよ。何だか心丈夫ですね。

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