償い

償い

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

2022年4月23日は、亀岡集団登校交通事件からちょうど10年経った日です。この日は朝の7時50分から事件の現場で法要が営まれましたので、JR二条駅で乗り換えてそれに参列してきました。そして、午後から開かれたパネルディスカッションに、被害者支援の専門家の立場でパネリストとして登壇しました。テーマは「遺族とともに考える『償い』」でした。

パネリストは、亡くなられた中江幸姫さんの父親の中江美則さん、小谷真緒さんの母親の高田絵里さん、当時加害少年の逆走に異議を唱えた刑事法専門の石塚伸一教授、そして私の4名でした。さまざまな立場から『償い』を考えようというパネルディスカッションでしたが、加害者の償いだけでなく、子どもを死から守ってあげられなかった遺族の償いや、遺族の悲しみに寄り添えなかった支援者の償いを考える場でもあったのではないかと考えています。

パネルディスカッションが終わってから、ご遺族やその関係者との交流会がありました。私の友人の愉快な仲間たちも参加してくれて、一緒にご遺族たちのお話をお聞きしました。中江美則さんのお話、中江さんの娘さんやお孫さんのお話、高田絵里さんのお話、岐阜県や香川県からいらしていたご遺族のお話、報道関係の方のお話など、さまざまでした。そのどれもに深い思いがあり、とても尊いお話でした。

その日、愉快な仲間たちは事件現場を訪れる前に、亀岡市にある出雲大神宮に立ち寄ったらしいのですが、そこで龍が見える男性との出会いがあったようです。愉快な仲間たちの一人が「そんな人に出会えないかな~」と思っていた矢先の出来事だったということです。出会いって不思議ですね。でもね、出会いって必然なのだと思います。龍の見える男性との出会いも、亀岡集団登校交通事件のご遺族との出会いも・・・。

最後に『償い』について、ある性暴力被害者の裁判での意見陳述から考えてみたいと思います。

「『反省』も『償い』も被害者のためではなく、加害者のために存在するものです。償うことは、加害者が罪悪感から解放されるための本当に楽な選択です。逃げです。だから絶対に、許されることや償いをモチベーションにするような楽な選択はしないでほしい。根本的な認知に変わって、人を本当の意味で大事にできるようになったら、被害者の私だけでなく、いろんな人を人間視してこなかったことに気づき、自分のしたことと向き合うことに大きな苦しみが伴うと思います。それが何年後になるかは分かりませんが、その苦しみがないなら、まだ逃げていると、自分の罪と向き合っていない証左だと思ってほしい」

刑務所や少年院での矯正期間は罰を受けているに過ぎない、出所・出院後から本当の償いが始まると語った殺人事件のご遺族もいらっしゃいます。人を傷つけ幸せを根こそぎ奪った償いは一生続くのだということ、そのためには自分のしたことの残酷さを理解し、自分のしたことと真摯に向き合うことで苦しみを感じ続けることが、被害者やそのご家族・ご遺族の望む償いなのだろうと思います。

with k 4E