ロングウォーク

ロングウォーク

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

今日は、久しぶりのお散歩ロングウォークです。

ロングウォークというと、スティーヴン・キングの『死のロングウォーク』という小説を思い出しました。近未来のアメリカで選抜された14~16歳までの少年100人がただひたすら南に向かって歩くのですが、歩行速度が時速4マイル以下になると警告を受け、1時間に3回以上警告を受けると射殺されるという恐ろしい内容だったのを覚えています。

私のロングウォークは、ゆっくりゆっくり歩くので、すぐに射殺されてしまうだろうなあと思いながら、蝶々が舞う後ろを歩きながら、春の陽気を楽しみました。大きな運動公園の木陰で、地面に腰をおろしながら水分補給をしていると、鳥たちのさえずりが聞こえてきました。♪カ~カ~♪チュンチュン♪ギギギギ♪ホーホケキョ♪と、それはそれはにぎやかでした。

また、たくさんの生きものと共に歩く散歩道では、草花や木々たちとのふれあいもあります。四つ葉のクローバーを見つけたり、ぐ~んと伸びている枝と握手をしてみたり……。新鮮な空気を体いっぱいに吸いながら歩くロングウォークは最高です。そういえば私たちは酸素がないと生きていけないのだなあと、ふっと思いました。

そう、草花や木々たちがいなければ、私たちは生き続けることはできないのですね。そうすると、経済的発展のために木々を切り倒している私たちは、なんて愚かなことをしているのだろう!と愕然としました。そして、毎年毎年地面から芽を出してくれる草花をとても愛おしく感じましたし、感謝の念すら覚えました。

どうしたら、この草花や木々たちを守れるだろうか?

昔、日本のある村では、一年の決まった日の夜に10代の若者を集めて、長老の話を聞かせたそうです。大人になるということはどういうことか、大人としての責任はどのようなことかを夜通し聞かされ、居眠りをした者は殺されたというお話があります。そして、若者たちはその夜が明けると、大人になっていくという象徴的な出来事を経験するのです。ある意味、通過儀礼のようなものでしょうか。

私たちが生きていく上で、自然は守るべき大切で不可欠な存在であることを理解する通過儀礼のようなものが、必要な時期にきているのかもしれません。もう、自然は当たり前にある存在ではないのかもしれませんよ。私たちはもう少し自然や地球に優しい生きものにならなければいけないなあと感じています。そんなことを考えた、ゆっくりロングウォークでした。

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