お花見

お花見

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

昨日はお花見に行きました。桜の花は、満開になると膨らみを持った豊かさと、花びら一枚一枚の可憐さがあって、その両面を併せ持つ美しさに引き込まれます。この美しい桜をあと何回見られるだろうかと、この季節が訪れるたびに考えます。

私たちはこの世に生まれてから死ぬまで、形のある世界で生きることになります。私たちも身体という姿を持ち、桜も花という姿を持っています。だからこそ、目に見える形で私たちは桜を愛でることができるのです。

あと何回桜を見ることができるのか・・・という問いは、この身体がこの世にあるうちにという前提条件がつきます。私たちはみな生まれ落ちた瞬間から、時間の流れの中で身体が老いていくからです。そして、この世の死という概念は、私たちの身体を失うことを意味します。

老いるということはネガティブに捉えられることがありますね。アンチ・エイジングという言葉があるように、老いに抗うことで若さや美しさを保とうとすることが、日本では価値のあることのように考える人たちがいます。

伊勢神宮には式年遷宮がありますが、これは20年に1度、神様に新しい神殿にお引っ越ししていただくという風習です。この背景には、“常若(トコワカ)”という考え方があります。とにかく新しいほうが、若いほうが気持ちよいということでしょうか。だから、日本では新しく若いことが重視される傾向があります。

私は、年を重ねた味わいのある深さのほうが好きです。顔にできる深いしわ、味わい深い優しい声、歴史を感じる少し丸まった背中など、年を重ねないと出すことができない空気感が好きなのです。坂を上がるような勢いはないかもしれないけれど、全身の力を抜いてゆっくり坂道を下りながら、残された時間の中で、この世に生まれたことを楽しんで生きることの豊かさを実感できることが、至高の喜びなのではないかと思うのですよ。

最後の瞬間まで、私がこの世に生まれてきた意味は何か、この地球に何をしに来たのかをぼんやり考えながら、ゆ~らゆ~らダンスを踊るように軽やかに、愛する人と共にありのままの姿で年を重ねていけたら、どんなに幸せだろうと思います。

だから、これからは少しスピードを緩めて、ゆったり歩いていこうと思っています。ということで、このブログも少し回数を減らして、3、6、9のつく日だけアップすることにします。ただ怠けたいだけなのかもしれませんが(笑)、思いつくまま気の向くまま、ありのままに生きていこうと思います。

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