祈りと誓い

祈りと誓い

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

昨日は午前中に交通事件で旦那さんを亡くされたご遺族とお会いしました。そして、夜はNHKで放送された「優希とともに ずっと~附属池田小事件 遺族の20年~」という番組を見ました。ご遺族から「よかったら見てください」と連絡をいただいたので、久しぶりに自らテレビをつけました。

奇しくもお二人とも2001年に大切なご家族を亡くされた50代半ばの女性です。事件から20年が経ち、現在ではお二人とも支援者として活動をしていらっしゃいます。

事件直後は、いっそのこと後を追って死にたいと考えたり、絶望的な悲しみから動けなくなったり、それでも生きなければと崩れ落ちそうになる自分自身を励ましながら生き長らえてきたというお話を伺ってきました。どれほどの苦しみを背負った20年だったのだろうと想像するだけで、胸が痛みます。

でも、彼女たちは加害者を恨んで生きるより、自分と同じ思いをされている人たちを支援することを選んで、活動されています。人を恨みながら生きると見える景色が醜く映るから。こんな自分でも誰かの役に立てることが嬉しいから。そう彼女たちはおっしゃいます。すごいことだな~と心から尊敬します。

日本では、“被害者(家族・遺族含む)は支援される人”というイメージが定着しています。なので、被害者が支援者にまわろうとすると、それを非難する支援者もいます。ともすれば、被害者同士でも非難し合うこともあるようです。どうしてだろう?と疑問に思います。

私たちはいつ被害に遭うかわかりません。被害に遭いたくて被害者になる人はいないからです。犯罪は基本的に加害者の意思によって起こります。だからこそ、私たちはいつでも被害者になり得るのです。支援者だった人が被害者になることも十分あり得ます。そういう意味では、被害者も支援者も同じ連続体の中に位置します。

そして被害者は、被害に遭った時点から被害からの回復を目指します。そのプロセスの中で、自分と同じ思いをしている人たちがいることに気づき、自分と同じような辛い思いをしていないだろうかと思いを馳せます。そして、その人たちの力になりたい、被害を無駄にしたくない(遺志の社会化)という思いから、支援者として活動を始める被害者の方がいらっしゃいます。昨日はたまたまその中のお二人の思いを知る機会に恵まれました。

今回の写真は、事件から20年経った今年の6月8日に附属池田小学校で行われた追悼式「祈りと誓いの集い」の際に撮影された「祈りと誓いの塔」の写真です。当時、小学校6年生として同小学校に在籍していた卒業生が送ってくれました。

事件に関わった人たちには、それぞれの思いがあります。10人いれば10通りの思いがあり、100人いれば100通りの思いがあります。その思いに私は寄り添えているだろうかと改めて感じた6月12日でした。

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