こころは誰のもの

こころは誰のもの

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

性暴力被害を受けた女性が書いた詞に「自分を責めないで あなたは悪くない 自分を責めないで 心はあなたのもの ありのままに 生きてゆこう」というフレーズがあります。被害を受けたかもしれないけれど、こころまで奪われたわけではない、こころはあなたのものだからというメッセージが込められています。

そうです。あなたのこころはあなたのものです。そして、私のこころは私のものです。他の誰のものでもありません。でもね、本当にそのような生き方ができている人は多くないのかもしれないなあと思っています。ただ、仏教では「私というものは無いのだ」という考え方もありますので、少し複雑ですが。

仏教には、いのちの私物化を戒める教えがあります。誰かのいのちを独占したり、支配したりすることはできないという意味です。例えば親が我が子を私物化していないか、家族同士で支配し合ったりしていないかという観点に立てば、「こころは私のもの」と言いながら、近しい人たちや立場の強い人たちに所有(支配)されていることもあるのではないかと思います。子どもは親の言うことを聞くものだとか、家族なのだからこうするのが当たり前だとか・・・。

あなたのいのちは自由ですか?あなたのこころは自由ですか?
家族だからと言って、あなたのいのちやこころを縛ることはできないのではないかと思っています。
あなたのいのちやこころが欲することをするのに、誰の許しが必要になりますか?(説明が必要な時はありますが)

このお盆休み中に凪良ゆうさんの『流浪の月』を読みました。その中に「人と人がただ一緒にいることにすら、目に見えないルールのようなものがあって、私と文(フミ)は出会ったときから、そこからはじき出されている。いつも居場所がない気分というのはひどく疲れる。」という一節があります。ただ一緒にいたいだけなのに、社会の常識では説明のつかない自由な関係性を、誰にでもわかるように説明するのは難しいことを表しているのだと思っています。自由というのは、人間社会においては厄介な存在なのかもしれません。

私は家族関係で悩んでいらっしゃる方のカウンセリングを行っていますので、家族=幸せであるとは思えないケースを多く見てきました。もちろん、それぞれがお互いに尊重し合って幸せに暮らしていらっしゃる家族もたくさんあります。でも、そうでない家族もたくさんあるのです。日本は特に家族という形態を重んじ、家族によって社会を成り立たせてきた歴史があります。だからこそ、家族にがんじがらめにされて、苦しんでいらっしゃる方もいるのです。本当にいろいろです。でも、もう少し「家族とはこういうものだ」という観念から自由になれればラクに生きられるのになあと思うことも多々あります。家族も含めて、すべてが緩やかにつながり合っている中で自由に生きるというイメージでしょうか。

占星術では、今年の12月に約250年ぶりに「土の時代」から「風の時代」に変わるようです。どっしりした社会構造や常識、慣習、制度などが再構築されて、風のように軽やかな新たな関係性が築かれ、少し自由に生きられるような世の中になるのかもしれません。占星術というと、「えっ?」と思われる方もいるかもしれませんが、天文学者のケプラーやあのニュートンも占星術を重視し、今の科学の母体になったとも言われていますので、この12月から時代の流れが本当に変わるかもしれませんよ。その風に乗れるように、私もこころとからだを軽くしておこうと思います。

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