泣き虫X
泣き虫X

オンラインカウンセリングのカナムーンです。
『劇場版Doctor-X FINAL』を映画館で観てきました。テレビでは「私、失敗しないので」というセリフで有名な『ドクターX~外科医・大門未知子~』を見ていましたので、これがFINALなのだなあと感慨深く思っていました。
映画の内容はネタバレになりますので、詳しくお話ができませんが、私は不覚にも号泣してしまいました。ドクターXを見て、泣き虫Xになってしまったというところでしょうか(笑)。どうして号泣してしまったのかというと、亀井勝一郎さんの『愛と祈りについて』の一説が頭をよぎったからです。
「死とは己の生命を完璧ならしむることである。自分の生命を完全に表現することである。死はいうまでもなく肉体の滅亡であり、そこでその人間の終止点が打たれるのであるが、終止点が打たれた時はじめてその人の一生の生命というものが完全な姿でわれわれの前にあらわれるのだ。これはだれしも経験するところであろう。自分の肉親や友人や愛する者の死に面して、必ずそれらの人の志や思いを、はっきり知るだろう。志や思い-そこにいのちがある」という一説です。
まさに『劇場版Doctor-X FINAL』は、愛する人の志や思いのなかにいのちを感じることができる映画だったと思います。映画をご覧になっていない方は、何を言っているのやら?と思われるでしょうから、是非一度ご覧いただければと思います。
愛する人の志や思いを、その人が生きている間に知ることができたらと思っています。ただ、私たちには肉体がある限り煩悩があり、愛する人よりも自分のことを優先してしまって、そこまで到達しないことがよくあります。だからこそ、生きているうちに愛する人の志や思いを理解したい。理解したいからその人がこの地球に生まれてから今まで、どのように生きてきたのかも知りたいと願います。過去のことは知られたくない人もいるでしょうが...。
亀井勝一郎さんは、愛と死について次のように述べています。「死所を求むるということは、己の生命を最も美しく燃焼させるということと同じである。恋愛もしかり。愛することと死ぬということは、どちらも人生の窮極、いのちの燃えあがるところだ。われわれの生涯とは、けっきょく己の死所を見つけることにあるのであって、そこでたおれても悔いない、そういう場所を見つけて彷徨って行く。これが人生というものだと私は思う」
愛する人の志や思いを知り、お互いの死所を見つけるまで、私たちにあとどのくらい時間が残されているのでしょうか。急がなければ間に合わないような気もするし、一方で私たちには残り時間はわからないことなので、天に任せるしか方法がないような気もするし...。迷いながら行き着くところまで彷徨うしかないのかもしれません。それが人生なのだと思います。
with k 4E #478








