ケアとコア

ケアとコア

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

幼なじみの岡野八代教授が執筆した『ケアの倫理-フェミニズムの政治思想』(岩波新書)の書評会に参加してきました。立教大学の新田啓子さんが評者で、同志社大学の三牧聖子さんが企画されたようです。私はテレビをめっきり見なくなりましたが、三牧さんはNHKの日曜討論などにも出演されていらっしゃるようですよ。

お三方はアメリカを研究対象にされているフェミニストのようです。フェミニストって一体、何だったっけ?と思い、ネットで検索してみました。検索ページのトップに挙がっている説明を見ると「女性の権利や男女の価値観などの平等を目指す考え、そうした主張をする人のことです」と書かれていました。

そういえば、カウンセリングの分野にも“フェミニストカウンセリング”があります。日本フェミニストカウンセリング学会のホームページには次のように説明されていました。「女性のための、女性によるカウンセリングです。伝統的なカウンセリングとは違い、『女性の生き難さは個人の問題ではなく、社会の問題である』というフェミニズムの視点をもって、それぞれの女性の問題解決をサポートします」

なるほど!女性の生き難さは社会の問題であるというのがフェミニズムの視点で、女性の権利や男女の価値観などの平等を目指す主張をするのがフェミニストなのですね。それを踏まえると、岡野さんがテーマにする“ケア”が、社会システムから排除された女性たちの営みによるところが大きいため、現在の子育てや介護などを担っている女性たちは社会システムのなかでケアされるべきであると論じているように感じました。

このフェミニズムによるケアの概念と、心理学におけるケアの概念とは少し異なります。例えば、心理学で“ケア”という言葉を用いるときには、メンタルケア、トラウマケア、グリーフケアなど、ケアの対象が明確にされることが多いような気がします。しかし、それはケア=心理療法ではありません。ケアという言葉は、おそらく配慮を持った働きかけの総称であり、一般の人たちが行うケアと心理の専門家が行うケアは明確に区別されていると思っています。

具体的に説明すると、現在の心理療法の流れとして「トラウマ・インフォームド・ケア」という、トラウマがあることを前提としたケアを行うことが推奨されています。このケアには3つの段階があり、一般の人たちが行うケアはトラウマ・インフォームド・ケア、トラウマを扱う心理療法家が行うケアはトラウマ・レスポンシブ・ケア、トラウマに特化した専門家が行うケアはトラウマ・スペシフィック・ケアと呼ばれているような区別です。

また、京都大学の山中康裕さんが「医療はキュア、看護はケア、心理療法はコアである」と述べているように、心理療法家が行う働きかけはケアではなく、対象者のコア、つまりその人を支える心の核の領域にいかにエネルギーを送りこむことができるかを問われています。そういう点では、フェミニズムのケアという概念とは本質が異なるのではないかと考えています。

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