神事

神事

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

今回の写真は、奈良県の廣瀬神社にお参りに行ったときに、偶然出会った「すな丸」です。夏越しの大祓の茅の輪の前で、とても暑い日にポーズをとって、サービスしてくれました。何だか、このような出会いがあると、御利益がありそうな気がしますね。

夏越しの大祓の茅の輪は、行く先々の神社で目にします。夏越しの大祓とは、1年の半分にあたる6月30日に、半年の間に身に溜った穢れを落とし、残り半年の息災を祈願する神事です。神社巡りが好きな私は、この時期たくさんの茅の輪をくぐりますので、すっかり穢れを落とせたことと思っています。

偶然出会った「すな丸」は、廣瀬神社で行われている五穀豊穣を祈る砂かけ祭りに由来しているようで、砂を雨に見立ててかけ合うことから、「すな丸」の手には、砂をかける道具が握られています。海苔巻きみたいに見えますが(笑)。

このように全国各地の神社では、神事が執り行われています。この神事(かみごと、しんじ)は神への奉仕や祈祷など、厳粛に行われる儀式や祭祀で、神社の宮司が主体として行っています。神への奉仕や祈祷が目的ですので、命がけで行われることも珍しくありません。

例えば、命綱なしで行われる梯子での曲芸や、疾走する馬の上で披露される曲技や、燃えさかる松明を持ち続ける火祭りや、急坂を大木とともに駆け下りる木落しなどが有名です。神への奉仕や祈祷なのですから、それはそれは真剣に命がけで行うのです。神との対峙ですからね。

河合隼雄さんが生前、今ではその神事にまで、市井の人たちが口出しをするようになったと指摘していましたが、私たちは神の領域にまでズカズカと踏み込むようになってしまったのかもしれないなあと実感しています。すべてを理屈で考え、あれはいけない、これはいけないと善悪の判定を下したがるのです。目に見えないものへの畏れなど、まったく無くなってしまったようです。

私たち人間は何もかもすべて支配することはできません。神も自然も支配することはできないのです。私たち人間の無力さや非力さをもう一度考え直すときに来ているのではないかと、神社でお祈りをするときに思う今日このごろです。

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