あるがまま

あるがまま

オンラインカウンセリングのカナムーンです。

今朝の散歩でオレンジ色のチョウチョを見ました。思わずパチリと写真を撮りましたが、老眼でよく目が見えないので、いつも被写体から少しずれます。書類を見せられて、「目が見えないんです」と言うと、クスッと笑われることがよくあります。見えているだけで感謝しないといけないのに、その表現は不適切かもしれませんね(反省)。

このチョウチョはキタテハでしょうか。オレンジ色などの明るいチョウチョは、運命の出会いを暗示しているようです。そして、自由にありのままに行動しなさいというメッセージもあるようです。最高の人生を生きるというのは、好きなことや楽しいことをしながら、あるがままの自分を表現することですね。誰かの犠牲になってはいませんか?まずは、自分を大切にしてあげてください。それが人の幸せにもつながります!という意味らしいですよ。

“ありのまま”という言葉から、アメリカの臨床心理学者のマイケル・ヴィンセント・ミラーが「愛を失うか、それとも自己を失うか」という表現を使っていたことを思い出しました。これは、親が子どもを良い行動や社会的に認められる成功へと導くために、条件付きの限りある愛を権力的に行使することが背景となっています。そして、子どもは親から見捨てられることを恐れて、親が求める「良い子」を目指すのです。「良い子」というのは親の期待通りの姿なので、本来のありのままの自己を子どもは手放していくことになります。なので、「愛を失うか、それとも自己を失うか」という表現になるのですね。

これは親子関係だけでなく、夫婦関係でも言えることで、家族という関係性の中ではよく見られることです。以前のブログ「花咲かじいさん」で、家族は支配と競争と摩擦を生むものという考え方があるとお伝えしましたが、相手をコントロールしようとすることは、全てが条件付きの支配です。あなたが私の言う通りになれば、あなたを愛してあげましょうという支配です。

人は人を支配できません。誰も人のいのちを所有することはできないのです。相手を制限することなく、ありのまま愛することが無条件の愛なのだと思います。そうすれば「愛も自己も得られる」のです。そんな愛が、子どもを育てる時には必要になります。人はあるがままの姿が完璧であって、これがユングの言う全き存在なのだと思います。あなたがそこにいてくれるだけでいい。あなたの存在自体が尊いのです。

みなさんが、チョウチョのようにこの青空のもとで、今日一日を楽しく笑顔で過ごせるようにお祈りしています。

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