天の香具山
天の香具山

オンラインカウンセリングのカナムーンです。
5月27日は百人一首の日でした。嘉禎元(1235)年5月27日に「小倉百人一首」が完成したとされていることから、この日が百人一首の日とされたそうです。
百人一首といえば、お正月に親戚が集まると百人一首のかるたをしていたことを思い出します。上の句と下の句の両方を覚えておかないとかるたを取ることができませんから、子どもながらに一生懸命覚えたことが記憶に残っています。
そのなかでも一番好きだった句は、持統天皇が詠んだ「春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」でした。現代語訳は、「春が過ぎて夏がやってきたようです。夏になると真っ白な衣を干すと言いますから、あの天の香具山に」という具合でしょうか。持統天皇が自ら完成させた藤原京から、天の香具山を眺めて詠んだ句と言われています。
この句がずっと頭に残っていて、ネットニュースで「天の香具山」の文字を見るたびに(あ~、天の香具山に登ってみたい。頂上にある国常立神社に参拝したい)と思っていました。だって、天の香具山は天から降ってきた山なのですよ。天という字がつく山は他にないのですから。
ということで、百人一首の日に念願の天の香具山に登ってきました。152メートルの低い山でしたが、結構急な山道でアラウンド還暦の私にはかなり堪えました。それでも、頂上にある国常立神社と高龗社の二柱の神様に手を合わせると体がスッとしました。
そういえば、持統天皇の父親は大化の改新を実行した中大兄皇子です。飛鳥時代には、神道を厚く信仰していた物部氏と外来の宗教である仏教を日本に取り入れることに熱心だった蘇我氏との間に対立がありました。最終的には蘇我馬子が物部氏を滅ぼし、政治の実権を握った蘇我氏の横暴が過ぎたために、645年に乙巳の変が起きて、大化の改新が実行されたのです。このときに、神道に関わる書物はすべて焼却されてしまったと言われています。
この645年の乙巳の変は日本にとってターニングポイントとなった出来事だったと思っています。ここから律令国家への歩みが始まったからです。そして法令集である「大宝律令」を刑部親王や藤原不比等らに命じて編纂させたのが、天武天皇の妻であった持統天皇だったのです。この持統天皇は、伊勢神宮の式年遷宮を始めた人でもありました。
何だか今回の天の香具山登山は、持統天皇を巡る旅の始まりだったような気がしています。天の香具山に始まり、藤原京跡や持統天皇陵など少しマニアックな場所を訪れました。そして蘇我馬子のお墓と言われている石舞台古墳も。なぜなら持統天皇は蘇我馬子が滅ぼされた645年に生まれているからです。巡る、巡る、時代は巡る・・・不思議な巡り合わせでした。
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